人間は皆自分の体内にエクトプラズムを保持しているのです。

何度か述べた様に、男と女では女の方が量が多く、然も出易いのです。僕には其の理由は分かりません、事実そうだと言う事だけは分かっている…教えられましたから。

ともあれ、其れで《巫》の役目を成すのは、昔から女性が多いのです。勿論男だってエクトプラズムは出るので、神主が《巫》をする事も有ります、そんな時は基本的には巫女さん同様赤い袴を着用する訳です。

好くポルターガイスト現象は思春期の女性の回りで起り易いと言われますが、其の理由も同じ事に成ります。

思春期の不安定で隙だらけの女性からエクトプラズムを拝借して霊人が自己主張をしている訳ですが、困った事に、エクトプラズム自体が半物質ですから其の量には限りが有る訳です。無制限に出続けると言う訳には参らないのです。

実は、量が少なく成れば当然の事に体力も一緒に落ちて来ます。

体力が弱っている時にエクトプラズムを出すと、其れだけ因縁を貰い易く成るし、又自分の体調も崩す結果に成る訳です。


勿論、エクトプラズムは徐々に再生されて元通りには成りますが、其れには個人差が有るだけで無く、それなりに時間が掛かります…と言う事は、そんな事実を知らずに、例えば"手かざし"なんかで他人の因縁祓い等を頻繁に行っていると、体力が落ち、相手の因縁を次々と拾い、因縁の塵塗れと成り、病気がちの然も人生を悪因縁に知らずに左右されて行き、二進も三進も行かなく成って仕舞うと言う事に成る訳です。

嘗て、或る有名な手かざしのお婆さんが、師匠の元を訪ねて来ました。何故か身体がガタガタに成って、重くて何もする気に成らないなんて言う訳です。兎に角、師匠と一緒に神様を拝ませて欲しい…と言う事だった様です。

稲津先生も同席していました。

師匠が神前に向かい、占い師の老婆が師匠の背後に座して合掌し、師匠が祝詞を上げ始めると、老婆が合掌し正座した状態の侭でピョンピョンとジャンプし始めたと言います。

そして座った侭で座布団の上で一周して仕舞ったと言います。横に控えて居た稲津先生が、どうした事かと顔を上げて視て観ると、神壇の中から光の粒がヒュンヒュンと飛び出しては老婆に当り、光粒が当たる度にお婆さんの身体がピョンと飛び上がり、頭を仰け反らせるのだそうです。

其処で良く視ていると、何と光粒が当たる度にお婆さんの首の付け根部分から邪霊、低級霊の類が弾き出されていたと言うのです。

ご丁寧な事に、嫌々追い出されて行くついでに霊達は憎々しい顔で老婆の頭を蹴飛ばし蹴飛ばし消えて行ったそうです。其の度に老婆はピョンピョンとしては仰け反らせていたと言う訳です。

ともあれ、すっかり所謂浄化されて顔付きから姿勢迄溌剌と成ったお婆さんは喜び勇んで帰って行ったそうですが、送り出した後で師匠がボソッと呟いたそうです。

「ありゃあ直ぐ元に戻るなぁ。また塵だらけに成る…」と…何故なら、又元気に成った積もりでせっせと低級霊の因縁を祓った積もりで拾い出すから…だそうです。


ポルターガイストに自分のエクトプラズムを利用されていると言うのも遣り切れない事なのですが、好く幽霊を見る方が居ますが、此れもエクトプラズムが関わっている場合が有るのです。

一人だけが見えると言うのは、其の人が自分の幽眼或いは霊眼が偶々開いて仕舞ったと言うだけの事ですが、何人かが同時に見る場合は、其の中の誰かが体質的にエクトプラズムが出易い人が居たと言う時です。

其の人が偶々ボンヤリして居た時なんかに、近くに居た霊がエクトプラズムをヒョイと抜いて利用した訳です。

だから、「幽霊が出た!」と驚いた途端にエクトプラズムが体に戻って仕舞い…幾ら回りを探しても、二度と出ないと言う訳です。意識がはっきりして居てはエクトプラズムは利用出来ませんから、近くに霊が居ても姿を示す訳には行かないですから…。

ところで、何故幽霊は足が無いのでしょうか。

あれ、足だけ見せようと思えば足位エクトプラズムで造れますよ。けど、誰か分からなければ、霊だって自我が満たされませんからね。

エクトプラズムを拝借するのは存在を良くも悪くも誇示したいと言う事も有る訳ですから。

実は全身を再生するのは、結構時間が掛かる様ですから、若しも幽霊が出始めたら、ジッと騒がずに驚かずに待っててやれば、其の内足元迄出て来る筈です。造っている途中で「ワッ!」と遣るからエクトプラズムが途中で体に戻って来ちゃうんです。


さて、実はエクトプラズムに皆さんも常に守られても居ると言う事も知って置いて頂きたい…。

例えば、階段から誤って転倒したの゙に、掠り傷だけで済んだ…とか、思い切り何かに頭がぶち当たったて転んだの゙に然程の怪我も無いし、脳震盪も無くケロッとしていたとか、野球選手が自打球を当てて軽い怪我しかしないとか…実は当たる瞬間にエクトプラズムで防護膜を造り一種のバリヤー作用で衝撃を軽減しているのです。

知り合いの女性が階段から滑り落ちて背中から激しく落ちた事が有りました。階段の角に腰を激しく打ち付け…咄嗟に骨を折ったと思ったそうです。ところが、直ぐに立ち上げる事も出来、何処も何とも無く、軽い擦り傷が付いただけでした。

倒れ込む瞬間、コンクリートの床の筈が本の一瞬フワリとした感覚が有ったと言います。

エクトプラズムがバリヤーと成ると言う教えを実感した瞬間でした。


主護霊がエクトプラズムを使ってカバーしてくれた訳なのですが、此れには重要な要素が加味されねば成りません。

即ち、末魂の方から常に主護霊と感応道交を計っていなければ成らないと言う事です。

つまり、常に主護霊に対し《祈り》を捧げて、常に繋がりを保とうと願わねば成らんと言う事です。他所を向いて居る限り、主護霊が幾ら助けたくても思いは届き難いと言う事です。

《無死の知らせ》が心を合わせて居ないと届き難い様に、救いの念波も届き難いと言う訳です。

エクトプラズムは飽く迄"末魂の体内"に存在する訳です。主護霊は霊界から念波でエクトプラズムを動かそうと言うのですから末魂との心との結び付きが大きいか小さいかでは大分違うだろう事は想像に難く無いです。

彼女は常日頃より主護霊を祈り続けていましたから、主護霊の救いの手は素早かったと、僕は思っています…。


御神霊は「此の物質界を動かすのは、大なり小なりエクトプラズムとの作用無しには動かないものじゃ」と仰せに成っています。


但し、誤解無き様に願いたいのは、《受けねば成らない因縁は、必ず受ける》と言う事です。

因縁は消せないのです。

だから階段から落ちる因縁が有れば、必ず落ちるのです。但し、大難が小難、無難には神は替えられると言う訳です。其の時にエクトプラズムが活用される訳ですね。

祈ると言う事にもエクトプラズムが必要なものである事は以前申した通りです。

其れから、鍼治療なんかで知られる《経絡》もエクトプラズムが関わっている事も以前申した次第です…。

此の様に、エクトプラズムと言うものが如何に我々人間社会を見えない世界側から支えて居るもので在ったかがお解り頂けたでしょうか…。