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霊界には厳然として界層が存在して居ます。幽界の七層と言うの゙は霊界の七つの層に対応して存在しているので。幽界にも暗黒境と言う地獄を思わす界層が確かに存在して居ますが、本当の地獄は霊界に在るのです。
佛教では、どうも幽界·霊界の区別が付かないのか、"幽界の暗黒境"と"霊界の地獄"を纏めて《地獄》と呼んで居る様です。然し、存在する次元が違っています、丁度我等の住む三次元と幽界が在る四次元みたいなものです。
尤も、霊格の高い霊能者の眼には共にタブッて視える訳ですが…。
其の一層を超えるには、偏に"心境の変化"に因る訳ですが、此の心境の変化に至る迄が大変なのです。同じレベルの者が集うと言う事は、地上に於ける様に比較出来る対象者が皆無と言う事だからです。自分だけで"何処か変だ"と気が付かないと成らない訳なので、やはり其れなりに時間を要するのですね。
尤も、幽界から霊界に帰るの゙は普通ですと…"普通"と言うのは昔みたいに"あの世の事"を上辺だけの知識では無く、実感として心に刻み込んでいた時代には普通だったのですが、現在は普通じゃ有りませんから…。
本当に早い霊だと一足飛びに幽界を抜けて霊界へと行くのですが…但し、残念乍ら暗黒境に行った霊は、早めに霊界へと移れたからと言って高い界層に潜り込むとは参りません…暗黒境からは地獄へと、幽界て地獄ならやはり霊界でも地獄なのです…どうしようも無い訳です、自分が蒔いた悪の種子は自分が刈り取るしか無いのです。
其れが《宇宙の理》と言うものです。
理想的には神道で言う五十日とか、佛教で言う四十九日所謂"忌明(いみあけ)"で霊界へと行く事なのですが、今の人達には其の様な方は居ないみたいです。
皆んな幽界にグズグズと居ります、残念です。
そして、ウロウロし乍ら「あぁ、食いたい」だの、「あの子を追い掛けたい」なんて事の連続な訳です。
ですから、自分の主護霊、末魂の繋がりがきちんとしてしっかり結ばれて居ないと…大方は末魂である自分が心を主護霊に傾けて居ない為ですが、フッと浮遊して仕舞いますから、実は其れが憑依する事に成る訳です。つまり憑依霊と成って仕舞う訳です。
此の霊界の構造と言うものが如何に霊格に左右されて出来ているかをI先生は次の様に言われました…
「宜しいでしょうか、憑依霊と言うの゙は、盛り場なんかに沢山居る訳だけれど、実は非常に恐いものでも有るのです。
此の憑依霊も霊なのです。自縛霊と言うのも霊なのです。
例えば、火事場なんかで非業の死を遂げていますから、交通事故死とか…戦争も其の一つですが、非業の死を遂げた霊達が一杯居ります。
恨みを持って…異民族に征服されて辱めを受けて死んで行った霊達も一杯居る訳です。
そう言った者が自分自身の惨めさと言うものを恨みに変えて、つまり目覚めて居ますから、そう言う霊も居る訳です。
霊と言うの゙は、自縛霊も居れば、憑依霊も居れば、もう一つは《思凝霊(しごれい)》…此れは人間と言うの゙は、生き乍らにして霊を飛ばす事をします。
例えば、夜な夜な丑三つ時に五寸釘で人形に打ち込む等と言う事は、此れは思凝霊を打って居る訳で、こう言う思凝霊の威力と言うの゙は凄まじいものが有ります。
岡山県の山奥に…迷信ですが、未だに"犬神使い"と言う行法を遣っているのが居まして、犬神家の一族と言う物語に出て来る、あの行法を視てギクッとした事が一つ有ります。
調べて観ますと、其の犬神使いと言うの゙は、犬の霊を使う訳です。
此れは思凝霊なのです。
犬の頭だけを出して埋めて仕舞うのです。
勿論、目の前に水と食料を与えて、そして犬に嗅がす訳です。
犬は食べたい一心でキャンキャンと騒ぐだけで身体が動きません。
其の内に喉が涸れて死んで行きます。
ところが犬の霊と言うの゙は、食いたい飲みたいの一心を固めて仕舞うから、其処で霊が固まるのです。"思い"が固まるのです。
其の"思い"を固めたものを《犬神》と。
其れを使う霊媒が其の犬の思凝霊に命令を発する訳です。そして、「殺って来い」と。
そうすると獰猛な犬に変わっていますから、其の犬の霊がビューッと行って相手を刺して来る訳です。
何も刀(どす)で刺す訳では無く、色んな嫌な事を遣って来る。帰って来たら"食わす"のです。つまり霊ですから、"霊気は食います"から、其れを捧げる訳です。
丁度、《狐使い》と言われる"こっくりさん"みたいなものを遣りまして、当ててくれたら油揚げを一つ突きなさいと言うのと全く一緒で、動物霊は皆あれを遣ります。
そう言う事で、人殺しも遣るし、また人を陥(おとしい)れる事も可能だし、そう言う曲津神を使う連中も居ると言う事です。
そう言う人達はどんな霊を使っているかと言うと、『思凝霊』を使っている訳です。
つまり、霊と言うのにはそんな類いの霊も居るのです。
そうすると、低い低い霊…地獄に逡巡する霊も、未だ幽界の暗黒境、薄明境に累々として沢山居る霊も…再度申し上げますが…其れが浄化されて行って軈て幽体を脱ぎ捨てて霊界へと帰って行きます。
霊界へ帰って行きますても、其れでも自分の思いに従った處へ行きますから、…そして霊界では一層を超えるのに、幽界とでは比較に成らない位時を要するのです…好く言われる様に、其の一層を超えるだけで最低四千年掛かる訳です。
そうして一層ずつ苦労して越えて行くと言う訳です。
霊界七層つまり『地獄界』から『夢幻界』そしてやや高いレベルに成ると、『色彩界』そして『光焔界』『光明界』…此処迄来ると燦然と輝く光の世界と成ります…此の辺が大体霊界でも高い霊格を持った人の行く處です。
ところが其れ以上に高い霊格の人に成ると、非常に稀に成って来ますが、此れが『超越界』…"十種(とくさ)の位"、最後に『究境界(くきょうかい)』に及ぶ方々が"三華(さんげ)の位"に成るのです。
ではこう言う方々は何をするのでしょうか…。
霊界つまり天界と言いますか、其処から観ますと、神佛の世界ですが…はっきりと言いますと、天界、神界の神々は神仙界第一層迄しか降られませんので、神界で決定した所謂天界の経綸を地上界に於いて実行する為に直接人間世界に来られる訳では無いと言うのが現実の世界の実相に成ります。
つまり、人間世界の人間に神界の神々が直に語り掛ける事は皆無だと言う事です。
神界の神々は、古来より人間と神の中間に存在する神人の世界へ御降臨された訳です。
即ち、神仙界第一層です。日本の神仙界に御座す方々は例えば、九鬼大隅守とか菅原道真公や竹内宿禰公、源義経公、楠木正行公、弘法大師等々で在る訳です。
其の方々は、無論地上迄降られますが、其のお手伝いをすると言うのが十種·三華と言われる…西洋的に言えば"天使達"と言う訳です。」…とお説きに成った。
即ち"人間は死んだらおしまい"どころか、死んでからの方が、遥かに長い《人生》が待っているだけで無く、其の人生を決めるのが"生きている泡沫(うたかた)の如き僅かな人生を、何の様に歩むかに懸かっている"と言うのが、謂わば『人生の理(ことわり)』と言う事です…。