我々現界の人間は、本当に霊界を知らなさ過ぎると愕然と成るばかりです。神々を知らないのは、次元が隔たり過ぎて、遠過ぎるから仕方無いとしても、直ぐ隣に広がる霊界の事も、死んだ故人を本当はどの様に扱えば良いのか…本当に去り行く愛する人を如何にして送れば、愛する心が去り行く人達に伝わるのか…知らなさ過ぎる。
例えば、近親者が帰幽したら、兎にも角にも其の方の血統上の繋がり有る方か配偶者の方が氏神様の元へ報告に上がり、幽世之大神様…今は代替わりをしていますが…に取次いで戴かないと閻魔の庁から八衢(やちまた)に向かう時に、御先祖に出迎えて戴く事が出来なくて大変苦労する事に成る…なんて事すら、最早すっかり忘れ果てていますもの…。
僕が霊学を学び驚愕した事の一つに"供養する"と言う事が有りました。
心を込めて死者を供養している積りでも、其れが単なる自画自賛であり"我々地上人間界の常識"と言う言葉では、やはり霊界と言うか、"生命の法則"と言ったものは測れない…と言うより、より生命そのものとも言える霊界の《ものの観方》を学ばないと、どうにも成らないなぁ…と思い至ったものです。
I先生は『地獄』の中に、次の如く記しています…此の記録は大分長いですが、霊界の深い真実が記されていますので、熟読されれば幸いです…
『霊界と言う處、真に都合の悪い處である。
現界では人間の皮を被った赤肉団(しゃくにくだん※禅語で身体の意)が笑ったり、泣いたりして表情を持ち態度に表して、それでも大人の狡(ずる)さや悪さを覆い隠し乍ら繕って日常生活を続けている。
だから、余程露骨な感情が表面に出るか、矢を射る程の棘(とげ)の有る言葉で相手を傷付けるか、仕掛けられた悪の陰謀が結果と成って表れるか、其れ等の想念が何らかの形に成って現れて初めて人が気が付くものである。
「騙されていた…コンチクショウ!」「そんな性根で私を裏切って来たのか…無念!」とか「もう人が信じられなく成った…悲しい」と…でも、現世は其れでも幸せな処、何故なら、目まぐるしい生活の変化の中で、其の怨念は何時しか癒やされて、又次の苦悶に取り継がれて行く。
心有る人は言う、「時間が其の悲しみを癒やしてくれるよ。時が苦しみを和ましてくれるよ。堪え忍んで時を持ちなさい…」
恰も人生を達観したかの如き慰めの言葉も霊界にはさっぱり通じ無いのである。
何故なら、現世で言う時間のサイクルは存在しないし、気持を紛らわせる何ものも無い。
有るのは今生で積み上げた所業と想念に因る記憶や経験。
生前、人間の世代を生き抜いた霊が霊界でエネルギーを発し生き続けている。
肉体は死して土に還る。
其の中に住み続けた霊が想念を発して蘇る。
そして所業のみが生き続けて行く。
辺りは薄暗い…月明かりの無い今にも振り出しそうな気配のジメジメとした更け行く夜…微かに一本の細い道が幅にして五十センチ程の砂利道に、背丈一メーター七十センチにも及ぼうか、骨骨しい筋肉をならして髪の毛の逆立った眼玉だけが異様にギョロつく赤ら顔の獄卒が、部下らしき者を携えて前方に四人、後方に二人。中央には囚人をしょっ引く様にトボトボと歩いている。
しんみりとして物音一つ聞こえない粗野な小道をシャリシャリ…シャリシャリと刺々しい砂利を素足で踏んで歩く。
痛そうにして蹌踉(よろ)めき、辛(かろ)うじて立ち止まる。其の度に横脇に付いている獄卒が横目でギロッと睨む。右手に笞を持ちヒョウッ…と空を切り打ち鳴らす。
部下と見えし者が良く見ると軍服姿の敗残兵である。泥と血に塗(まみ)れて、片足の吹っ飛んだ、ズタズタに破れたズボンの裾に、未だ肉片がくっ付いて枯れ木の棒に掴まって息重に歩く。
最前列の二人は戦闘帽に星の徽章(きしょう)が微かに残骸を残している。
全身がずぶ濡れに成った雨と汗と泥を浴びた血飛沫(ちしぶき)が、嘗ては国防色に染め上げられた軍服の面影も無く、今では草生す湖沼からゾォ〜と上って来た侭であった。
腹を撃たれた者、眼を射抜かれた者。
腰には飯盒を当て、ベルトの横脇に手榴弾、更に銃剣を下げた侭軍靴を履き、ゲートルを足に巻き付けた侭斃れて朽ちた人霊の人塊(ひとかたまり)である。
もう一体の人霊は手足胴共に損傷は無い。然し、顔が無い。
不思議に思い後を見れば確かに耳後部から貫通銃創を受けて顔面へ突き抜けていた。
彼は今懸命に淋しい砂利道を歩いていた…暑いムンムンとする湿気の夜の中を俯向き乍ら泥に塗れて虚ろに歩き続けている。
戦が済んでもう何十年もの歳月が過ぎている。
囚人と観えた中央の一人は黒い僧衣を纏うていた。手に数珠を掛け刺々しい砂利道を我慢強く歩いている。奥歯を噛み締め乍ら痛さを堪(こら)え、時折思い出した様に念佛を唱え、両手を合わせ数珠を擦り我慢強く歩いている。
足の指が柘榴(ざくろ)の様に裂け血に塗れている。
僧侶がどうして獄卒に引かれて行くのか。
敗残兵の中程に取り囲まれる様にして歩いている。
辻褄の合わない光景に疑問を抱いた私は中央の僧侶らしき者に近付いて横脇から其の顔を覗き込んだ。でも足を地に付ける事は出来無い。
其れをすると地獄の因縁を身体に受けるからと堅く禁じられていた為である。
「あっ…」と驚いた。此の人は私の知人…生前は○○会社の社長で在った。
まさかと思うてもう一度覗き込んで見た…やはり紛れも無く知人の社長で在った。私は更に近付いてみた。獄卒に気付かれぬ様に、そっと忍び寄り社長の耳元へ囁いた…「私です…Iですよ」と。
然し、社長は振り向こうともしない。
黙々と…時には思い出した様に念佛を上げている。
今度は数珠を引っ張って合図をしてみた。
社長は初めて気が付いたのか、不思議そうに振り返り、「I…I…?」と譫言(うわごと)を言う様にして私の顔を繁々(しげしげ)と見た…何か朦朧とした感覚、まるで麻酔に罹った様である。
「Iですよ…御子息の事で相談を受けた事が有る…」耳元で大きく呟いてみた。
社長は気が付いた様である。
然し一方の眼では恐ろしい獄卒の顔色を伺うていた。そうして、右手を口に掲げて私の耳元に話し掛けて来た。
「先生…あいつは何様か知らんがえろう怖い…奴の笞の音は痛いし応えて適わん」
そう語るなり、恐る恐る僧衣の袖に口を覆うて獄卒との視界を遮った。
私は尋ねてみた…「社長…どうして此処へ…」
すると社長は訴える様にして、然も嗄(しわが)れた声で小声で話し出した。
「息子には何度か話し掛けますのやげどな、どうした事か、さっぱり返事をしよりまへんのや」…死の直後は眠っている。夢の中で息子の側へ近寄っているが分からない…「親を蔑(ないがし)ろにする息子やおまへんのに、何度呼んでも知らん顔の半兵衛だす。先生、息子に返事ぐらいせい…て言うとくなはれ」
どうも社長は自分が死んで居る事が判って無いらしい。話し乍らも獄卒に気遣い黙々と歩き乍ら、尚も語り掛けて来られる。
「先生…経営の難しさは何と言っても、後継者どすな…儂は此の点で失敗どした。何とか息子の身体が丈夫に成ってくれんかと阿弥陀はんに縋って念じて来ましたわなあ。此の間も本願寺さんには五百万円も寄付しましてな…まぁ大した金ではおへんけどな…。
煙草を止めてくれんかと何度も息子には言いますのや…でも止めよらん。やっぱり意志が弱いのやろうな。でも此れだけの大所帯の会社の次の責任者と言う自覚が有れば、好きな煙草も止めにゃ成らんのに…。
此れでは、死ぬに死に切れませんわな…」
淋しそうに肩を落としてポツンと語った。
此の社長が心臓発作で一瞬にして他界されたのが昨年の春であった。
比較的早く幽体の眼を覚ました事は良かったが、やはり未だに"死の自覚"が無いらしい。
社長の子息は三十代後半の所謂三代目青年経営者である。
唯、私の眼には常に六体の憑依霊が彼を取り巻いて、知らず知らずの内に人格異変を起こして居るのが、予てより見えていた。
午前中は爽快な気分で全社朝礼に激を飛ばすかと思うと、間も無く意気消沈として、肩を丸く窄(すぼ)ませ顔は土色に成り眼がすわって来る。
朦朧とした眼付きで煙草を燻(くゆ)らせ、見る見る内に灰皿が吸殻の山と成って行く。
「先生…今日は身体がだるおますのや。何にも考えとう無いのだす…すんまへんな。死んだ親父は偉かったなぁと、つくづく思いますわ…すんまへんな」
そんな会話を交わす時、ロビーの横を過ぎ行く社員の不安そうな顔が印象に残る会社である。
獄卒が、やや足の運びの遅く成った社長を睨み付ける様にして笞が再び空を切った。
暗い夜の小道に辺りには何も見えるものとて無く、取り囲む敗残兵の霊が息苦しそうに黙々と歩き続けている。
"ビシッ"
獄卒の地に打つ笞が小道の棘の有る石に当って一つが吹き飛んだ。
社長が小刻みに震えている。霧の霞む深夜の山道に似て、微かに眼を澄ませてやっと小道が見える。
暗いし、誰一人として語らない。
唯黙々と歩き続ける。
無情に打つ獄卒の笞の音が何故か痛く肌を刺す。
心細い、やるせない気持ちに襲われたのであろう…獄卒の動静に気兼ねし乍ら、此れだけは聞いて欲しいと、今度は泣かんばかりにヒソヒソと愚痴話を語り始めた。
「先生…何でこんな処を歩かせられるんやろう…足が痛いし、何よりも先が見えんのが無性に怖おす。口の裂けた獣の様な赤鬼…奴の一睨み程怖いものはおへん。
此処は何処なんどすか。女房も息子も孫達も居りまへん。気が滅入って大声を出そうとしたら、あいつが睨みよります。念佛を唱えても、御経を上げる事自体何故か億劫で…淋しおす。気が狂いそうどす…足が痛おます…」
何とも弱気に成った社長を私自身どうして上げる事も出来無い。
「聞いとおくなはれ…昭和十四年北京に通ずる鉄道沿線の警備に当たって居た頃、何時もの様に歩哨任務を終え巡察に出発した時の事だす。
線路に沿って小高い丘を越して、夜間潜伏行動をした場所近く迄来た時、突然"タタタタタ…"と激しい銃声に見舞われました。雷鳴の様な敵弾の雨…ゲリラの待伏せに遭いましたんや。
"ピュンピュン…"右、左からチェッコ製の機関銃、小銃、ピストル入り乱れて狙撃して来ました。
バリバリシュンシュンと土や草に敵弾が食い込みました。
無我夢中で応戦する…其の時、横に居た西村一等兵が胸を殺られました。前も山、後ろも山…其の瞬間敵の投げ付けた手榴弾が炸裂しました。
一瞬左足が丸太で思い切り打たれた様に、まるで火箸で打ち殴られた様に両足ともグラグラに成るのを覚えました。
気が付いた時は戦友の背中に救けられて山を降りて行くのでした。友軍に助けられた…然し、巡察を共にした戦友の六人は既に戦死しとりました。
其の時、戦友を失った悔しさが一気に込み上げて、止め処無く涙が流れました…」
遠く望郷の彼方に戦友を偲ぶ様に永遠の別れと成った中支の哀しい思い出を語るのであった。
生き残った兵士が戦友の柩を胸に故国へ帰る。
英霊達の供養を生涯懸けてして遣りたい。
其の為に戦後無一文から商売を興し、日夜お仏壇に戦友達の霊を弔い読経に明け暮れた。
でも、六体の戦友達は靖国神社へは行かなかった。
例え善意にしても社長の想念が一つの思凝霊と化したものであろうか…其れを位牌に代えて読経の度に憑依して来る。
社長に彼の霊達を救う力は勿論無いし、慰める事も適わなかった。
戦後幾十年、其の自縛霊は社長の発信する霊波に乗って、何時も仏間に生き続けて来た。
子供に何の罪が有ろう…。
あどけない倅の合わす薔薇の様な幼い手に、何時しか覚えた『正信偈和讃』を揚げる仕種(しぐさ)の度に父の側に座した一人息子の身体に憑依し続けるのであった。
戦地に散った若き戦友達の故国を偲ぶ執念が生き続けたいと望む念波に乗って呼び寄せられた。
戦いの無情と儚い運命に同情し、戦友の魂を救おうとの一念から起こした自らの得度ではあったけれど、皮肉な事に戦死した戦友達の霊は呼び寄せられた侭救われなかった。
そして、子息の身体に獅噛み付いた。
魂の救済の出来得ぬ力無き者が、非情では有るが"お節介"の末に"安請け合い"の業務が、終(つい)に我が子をして、"この世"的には破滅させて居た。
功成り名を遂げた大成功者としての事業家の一代にして残した強大な財産も、今は虚しく何時しか海の藻屑として消え去る時もそう遠くは無い。
「先生…」獄卒を指さして「あれが来いと言いよります因ってに…取り敢えず行きますわ…」
何処(いずこ)へ去り行くのか…社長には其れを知る術は無い。
唯一向(ひたすら)にトボトボと淋しい暗く蒸し暑い、ボンヤリと微かに見える一本の小道を…再び思い出した様にポツリポツリと念佛を唱え、歩いて行く後姿が侘びしく悲しくもあった。
彼方には焦熱の壁が時折炎を吹いて、焼け爛れた岩盤から火の粉を吹き付ける。
恰も、夜霧の国道の山稜に掘り通された狭いトンネルの洞窟に吸い込まれる様に社長と六体の霊が人塊を成して消えて行った。
瞬間の事では有ったが、消え行く寸前…六体の霊の背後に同じく血と泥に塗れた甲冑姿の武者達がヨロヨロと連れ添って歩いて行くのが見えた。
"赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)"…明らかに関ヶ原の戦いの槍先の武士(もののふ)達…戦(いくさ)に朽ち果てた主護霊達の姿であった。
此処にも輪廻転生が有った。
因縁の成せる業が有った。
関ヶ原から四百年…其処からの゙生まれ変わりが又同じ所業を踏んで消えて行った。
一千年の昔…あの世の見える聖者が絶叫された…生まれ変わり死に変わりの魂の巡禮達の姿を…。
『生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し』
…『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)巻上』…弘法大師の著作である。
人は一代…戦後の復員から立ち上がり、真面目に只管に事業を営み続け、隆盛を極めた社長の血の滲む努力は一体何だったのだろう。
一人ポツネンと取り残された子息は、父を失った悲しみと共に其の後、植物人間と化した…。
彼は今も尚、放心状態を続けている。
遠く霞む山稜の洞窟の中から、其れでも時折、獄卒の打つ笞の音が"ヒョオッ"と僅かに聞こえて来る…。
気の所為(せい)だろうか…微かに「南無阿弥陀佛…」ボソボソと呟(つぶや)く失意の声が、サワサワと足音ともつかない気配を残して段々と遠のいて行った。
入っては成らない…其の洞窟の彼方に…地獄が在る。』…と。
之は丁度、八衢(やちまた)を過ぎて否応も無く進む一本道を地獄に向かって歩んで居る知人の霊人と出会った先生の記録です。
本来八衢と言う通り、道が其の場で七つに別れて居るのです…つまり、閻魔の庁から続く一本道と別れる七つの道とが交差するので八衢なのですが、霊人には最初から最後迄ずうっと一本道にしか見えないのです…。行き先に変更は効かないと言う訳です。
変えられるの゙は現界に生きている間だけと言う訳です…。