I先生は後世の日本人の"道しるべ"とする様にと言う神々の諮(はか)らいに拠り霊界行脚をするに至ったと聞いております。

私達普通の者が一番知りたいのは何か…其れは多分、霊界が在るとか無いとかと言う事では無い様です。

何故なら、在ると言うも、無いと言うも私自身にはどちらも確かめ様が無いからです。

そんな事よりは、実は"若し霊界が在る"と言うなら、"死ぬと私達は霊界と言う処で、具体的に何をする事に成ると言うのか"と言う、其の具体的例を示して欲しいのです…違うでしょうか。

極端な話…別にホントかどうかなんてどうでも良いのです。どうせ"私"には、其れこそ確認する術も無いんですから。

"若し、霊界、あの世が在るなら、そう言う処で在る可能性も有るのか"…と言う事が、何と無く解った気に成るだけで、何も判らず死んで行く恐怖に比べれば、幾分落ち着いて"死んで行ける"と言うものです。自分なりの"死と言うものに対する"或る種の決着に近いものが付けられそうな気がする…と言うものです。

死後の世界が無かったなら其れで良いし、死後の世界が在ったら、道しるべが有る事に成るので、慌てないで済むと言うものです。


と言う訳で、一番知りたいのは死の直後からの道程なのです。

そして、もう一つが、昔から噂だけは耳にし、絵本や昔の絵草紙なんかで目にしている『地獄』です。

地獄は本当に在るのか、在るなら何をした者が其処に堕ちるのか、本当の所が知りたいのです。

実は、I先生が指示されて探訪しのが、所謂『真面目に普通に"この世"を生きた人達が行く地獄』だったのです。


其の膨大な記録の冒頭部分には次の如く記されています。

『地獄だけでも百八十一の階層が在ると言う。

勿論、此の中にも閻魔大王が亡者の所業を裁き、獄卒が容赦無く罪人を苛責(かしゃく)する冥界から、八大·八寒地獄、更に其れを囲む十六小地獄等『往生要集』に代表される極苦の世界や、ダンテの『神曲·地獄篇』や、スウェーデンボルグの見た『地獄界』更にワードの『地獄界報告』等に因って観察された、所謂"広義の地獄界"を含むものと考えて良い。

然し、此等の世界では、地下深く闇黒の冥府の末に死せる人々を悚慄(しょうりつ)せしめ、凄絶(せいぜつ)な責苦の果てに尚此処に堕ちた罪人の被虐は正に目を覆わんばかりに悲痛を極めている。

寧ろ、現世の人間の為の業因としての悪業の成れの果てを、やや脅かしにも似た誇張の極限に於いて捉え様とする。

其れが真実であったとしても、愚かな人間の"地獄"を観る眼は疑いに掻き曇り、所詮一つの比喩の域を出ないもので有ると想像するに違い無い。

哀しい事では有るが、霊界の見えない人間に執っては、死後の世界の実在すら無造作に否定して仕舞う。


私に執っては"地獄"は明らかに実在する世界であり、"霊的人間"の領域からは物質世界つまり三次元世界に隣して別の世界即ち四次元霊界の在る事実を何の不思議も無く容認して仕舞う。

其れは只一つの"真実"に対する肯定からである。

霊界は明らかに実在するものと確信している。

然し、此の世界を探訪するに当たって、真に残念な事は、其れを証明する為の過去の多くの霊能者達の手に依る『霊界見聞記』が、余りにも断片的であり、況して高度な五次元神界の実在に就いては、其れを記録されたものは皆無に等しく体系付けられたものが見当たらない。


広大無辺な霊界のほんの一部分を捕えて、恰も其れが霊界の凡てを現している様な錯覚に陥り語り掛けられる誤謬(ごびゅう)に驚かされるのである。

何故そう成るのか…。

其れには厳然たる理由が有る。

元来、"霊能者"には宿命的な誤信が有る。

"悟り"とは無関係な霊能者の多数の者が"霊に拠り見せられている世界"で在る事に気が付かない。

自らが見ようとして見える世界では無く見せられる世界…其処には、一人の霊能者に付き添う影の如き主護霊や背後霊又は指導霊が、自分自身の住む霊界各層の或る部分から霊界通信と称する映像念波を送り届け、其れを霊能者の霊眼や霊耳(れいじ)として何らかのサインつまり信号を送る。

又、時には階層に生きる霊界人が何らかの目的を持って、体質的に幽体分離の可能な肉体人間を誘導して霊界探訪に出掛ける例等、其の何れを採っても必ず霊界からの指示方針に従ったものに過ぎない。


人間の視野は狭いもので、此の様な映像念波の虜(とりこ)に成ると、此れが霊界の凡てである様に思い込む。

眼に映る物質世界に於いてすら広大無辺ではないか。地球上の光景や況して銀河系宇宙と成ると未だ現代の科学文明を駆使しても及ぶ世界では有るまい。

況して宇宙の彼方に繋がる死後の霊界や神界等と言う世界に至っては、其の広さや深さ、高さに於いて語り尽くせる道理は有るまい。


霊能者の眼に映った過去の多くの事象も僅かな部分の描写に過ぎず、其れは恰も自分の家の庭を見詰めて地球が見えたと騒ぐに等しい愚かな所作では無いのか。

"霊能は見せられる世界"だとすると《見せる相手》が存在する。

問題は此の《見せる相手》に有る。


放送局は霊界であってブラウン管が現界の人間である。

其の放送する相手が低級な動物霊や低俗な人霊であった場合、憑き物以上の高級な世界は見えないし、高度な神霊世界は覚束無い。

霊界には"厳然たる掟"が有る。

低俗な階層に棲む低級霊は一段上の階層は全く予知していない。

一階層の開きは、余りにも大きな異次元の世界と成るからである。各階層毎に棲み着く類魂の集団…霊界は階層に集う念波の集合体であり、『地獄』も人間世界に送り届けられる放送局の類いに外ならない。

実在する地獄の棲家の住人の念波が現界の人間に反映する。そうして、地獄絵を演出しているのである。


霊界研究が科学者の手に因って取り上げられてからも僅か百三十年…此の間、日本に於ける研究は緒に就いたばかりである。

況して《地獄の研究》に至っては『往生要集』を除いて殆ど見当たらない。

また過去の霊能者が部分的断片的に地獄を覗き見て霊界通信を受け取った事実もほんの一部にしか過ぎない。


人は死して幽界に彷徨(さまよ)い、時間を経て霊界に蘇り修行を積んで天上界即ち神界へ到達すると考えられる心霊研究の世界に於いても、霊界上層部や神界の消息をダイレクトに受け取った霊能者は全く存在しない。

其れは当然の事なのである。

理由は現界·幽界·霊界·神仙界·神界を貫く高級霊、即ち高貴な主護霊や背後霊(指導霊)が現界に繋がる霊能者と交流していない事に因る。

従って、"霊界物語"と称する諸文献を通読しても、所詮高級霊の降っていない世界から覗き見た霊界の物語であるが故に高き神々の判る道理も無いし、霊界のどの階層を素描したものかすら判然としない、極めて低俗なものが多いのである。


"四次元霊界は迷いの世界"である。

三次元現界の人間が生前、迷いと堕落の末に他界して死後、どうして極楽や天国に召されるものか。

常識での判断で明らかなのでは無いか。

其れ程、霊界は道楽者の救われるパラダイスでは無い。

"この世"で堕落した者は、"あの世"でも堕落している。

道楽者はあの世に於いても道楽者である。

迷える者の魂が迷える霊界を彷徨い歩き、魂の遍歴二萬八千年。

神の世界は遠い遠い彼方の末に悟れる者の行く世界。

即ち、五次元神界に到って初めて宇宙に帰属する。

魂は永遠に霊界から現界へ、現界から再び霊界へ、霊的遍歴の旅路は三百五十回。

其のピストン運動を指せられて輪廻を繰り返す。

従って霊界研究は『迷いの研究』であり『悟りの研究』では無い。


迷える霊人が迷える人間に向けて放映して来たビデオを"霊能者"と言う。

霊能者は神と無縁の低俗な迷える世界の産物であるが故に、此の世界の研究は四次元世界から五次元世界に到らない限り決して帰結しないし、《この世に私は何をしに来たのか》の人生目的が判明しない。

即ち、過去の霊界研究の一切は此の一点に於いて行き詰まっている。

問題は、此の五次元神界に出入した者が居ない限り、高き神々の世界は描き尽くせない。

此れは人類史に執って不幸な事であった…』と。

先生は、"悟りを得る事無き霊能者"として、其れでも高き霊界と繋がりを持たれる立場に於ける霊能者としての自戒の思いを以て、此の長き序文を『地獄』の冒頭に認(したた)めておられます。