直接談話・間接談話と言うのは所謂西洋に於ける科学的心霊研究の重要な要素である交霊会等で頻繁に用いられる用語として理解している方が殆どだろうと思いますが、実は古神道でも同様の現象を以て神霊の意思を尋ね、また解答を賜っていたと言う事実は案外知られていないのかもしれません。

ここで僕が西洋に於ける“心霊研究”と古神道での“神霊の意思”と用語を使い分けたのには意味があります。それは交霊会が相手にしているのはどうやら霊界人だけの様に思えるのに対して、古神道が相手にしていたのは実際上の神霊即ち神だからです。

これは簡単な理屈です。
それは霊媒の資質の違いに因るものだからです。分かりやすく言えば、霊媒が単なる霊能者か、それとも悟りを開いた御仁なのかと言う事に因るものなのです。

どんなに優れた霊能者であっても霊能を以て神霊と繋がる事は出来ないと言う厳然たる事実があるのです。

交霊会の記録を繙けば神からの伝え事を語る霊はたくさん現れていますが、神自身が交霊会の場に直接降られた記述は信憑性の高い交霊会程出現されてはいないのです。神を騙る低級な霊に惑わされている霊媒は多いようですが、それは此処では語るつもりはありません。

霊界の事実をひとつ述べて本論に参ります。それは霊能者がコンタクト可能な霊人はその霊能者と人格的に同等の霊人かそれ以下の低い霊界の霊人だけだと言う事です。

霊媒者もまた悟りを開き神と等しい霊格を得ない限り神と繋がる事は不可能なのです。
どんなに人格的に優れた霊媒でも悟らぬ限り神と直接繋がれない事は優れた霊媒自身がよくわきまえています。
しかし、人格的に高い霊媒に繋がるのは霊人であっても、高い霊界の霊人ですから、その中には天使も勿論居ますから神の使いである天使が霊媒を通し神からの伝言を語っている記録ならば多く残っているのも事実です。

天使とは霊界最上層の霊人ですから、それを神霊と呼んでもまあ間違いではないでしょうが、古神道が神霊と言う場合は霊界の更に上の神仙界と言う事実上の神の世界に住む神霊が直接降られて直接談話或いは間接談話により神が神御自身の声と言葉で語られた記録が古神道には残っているのです。

霊界人が直接談話・間接談話で語るのも、御神霊が直接談話・間接談話で語るのも、一見すると違いはありませんが、中身に於いては天地の開きなのです。
つまり念力の範疇にある霊能と悟りを開いて初めて得られる神通力も素人目に一見すると同じに見えますが、中身に於いては天地の開き有りなのです。
霊能と神通力を同じ尺度で計ることは道を誤ります。

では直接談話と間接談話とは何処が違うのか。
直接談話とは霊媒のエクトプラズムを用いて霊人や神霊が霊体のまま直接語りかけるのでこれを『直接談話』と言う訳です。この時、神霊は霊眼を以てこちらを見ていますから、参列者の姿は肉体を視るのではなくて、霊体を視ているのです。ですから、参列者の心の動きは直ぐ解るのです。

それに対して『間接談話』は霊媒の肉体内に入り、つまり憑依して霊媒の肉体を用いて語りかける…霊媒の肉体の眼で参列者を直接見ながら霊媒の声帯をそのまま使って語りますから、無知な人間から観れば恰も詐欺を働いているかの様に短絡的に考えられてしまうことも多いでしょうね。
ともあれ、霊人が霊媒を通して間接的に語る事に成るから間接談話と言う訳です。
霊媒の肉体に封じられていますので、参列者の心の動きは唯の霊界人には掴めない事になります。神通力をお持ちの御神霊ならばその気になれば解るそうですが、一般には補佐する霊人が何人かで霊団を組んで協同で直接談話・間接談話を行うと言います。

古神道に於いては神が降り直接語られた場を斎場(ゆにわ)と呼びました。即ち、霊界の悟られた霊人(神)と地上の悟られた人間(神)とが語り合う場が斎場です。

では具体的には直接談話の時は霊媒の体からエクトプラズムを抜き出して例えばメガホンの様なものの中に霊媒の喉笛を復元させてそれを用いて語るので、声質と言うか音色は霊媒の声に為らざるを得ませんが、イントネーションとか言葉つきは総て霊界人のものに成る訳です。所詮霊媒の喉ですから、完璧な他人の声質にはなり得ません。

間接談話の時は神仙界の住人である神は本体の存在ですから、霊体を作り、幽界と霊界の狭間に脱ぎ捨てられた幽体の適当な脱け殻を見繕って幽体を纏(まと)い霊媒の肉体に入ります。

斎場に於いては入られる霊媒も悟りを得て神たる資格を持つ神通力者ですから、一般の霊媒とはこの時の様子は違う様です、一般には霊人に依って霊媒は意識を失わされて、その間に入り込む様な形を取る様ですが、斎場に於いては霊媒は神通力を用いて自ら肉体から抜け出して、そこに神霊が入り込むので、百パーセント肉体は同じで中身が入れ替わる事になります。
霊媒が飛魂すると言うことは肉体は死ぬ訳ですから瞬時に入れ替わらないと空っぽに成った途端肉体が倒れてしまいます。

霊媒が首の後ろ辺りから抜け出すと入れ替わりにやはり肩口と言うか首の辺りから…実は脊髄から入り込むのです。延髄バルブに入られると言います。

こうして中身が入れ替わる訳ですので、当然脈拍も変わります。これは嘗て医学部の教授が確認した事ですので間違いありません。

一般に、直接談話の場合は半物質であるエクトプラズムを大量に使うので当然体重も急激に減りますし体調も崩して危険なので、昏睡状態にしてエクトプラズムを抜く様です。

古神道の中心は実はこの直接談話と間接談話にあったのです。神が降り、直接相談に乗り、人生の進むべき道を示され、国の進むべき道をも示されたのです。勿論神との応答の方法は他にも十通り以上日本には残っていますが、嘗ては神示に依って日本と言う国は正しい道を歩んで来れていた訳です。
神道には佛教の様な哲学が無い等と嘯く学者がいますが、直接家族が語らいながら生活した様に、直接神が言葉を以て道を示されたから、膨大な記録や書物が必要無かっただけで、神道哲学が無い訳ではありませんので、そこはお間違いの無い様に願いたいものです。

今回は、間接談話とは如何なるものかと、さるお方からお尋ね頂きましたので、大雑把ではありますが、その違いを語らさせて頂きました。