玄君は20数年振りにX個のりんごの事を思い出しました | KUDANZササキゲン「散文と音楽」

KUDANZササキゲン「散文と音楽」

ササキゲンのソロプロジェクト KUDANZ(クダンズ)の日記


音楽家を志すようになってからの事を思い返してみると、母親の「玄は好きな事しか出来ないから、好きな事をやりなさい。」という一言と、悩んで悩んで、数年振りに実家に帰った時の父親の「やめたくなったらやめたらいいし、やりたくなったらまたやればいいんだ。そういうもんだべ、音楽って、そういう字だべ」という一言は、似てるようで違うし、違うようで同じで、どちらも金言だったし、足枷になった時もあった。
母親は、将来の進む道を迷っていた時にこの言葉をくれたから、大人になった時に、自分に合った仕事を見つける上でのアドバイス。
父親の言葉は、自身も音楽をやっていた経験則に基づくアドバイス。

それを足枷のように感じていたんだなと気づいたのは、二人がこの世を去って、本当の意味での自分の人生が始まった時で、だだっ広い荒野に一人立っているような気持ち、寂しさと、少し晴れ間が見えるような、不思議な気持ちになった時に、それを思った。
二人がそれぞれくれた言葉で、意地張ってきちゃって、引き返したり、別の人生を行く選択肢をことごとく無視してしまった。
突き詰めていくと素晴らしい音楽家達に出会い、自分は彼らほど音楽を愛して、向き合っているのだろうか。
もしかしたら、別の人生も沢山あったかもなぁという気持ち。
感謝ありきで、後悔もなく、そんな風に思った。

親が子に教える事で大切なことはきっと、良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、良い人も悪い人も、普通の人も変な人も、綺麗なものも汚いものも、色んな味のするものを、いい匂いも臭いものも、自我が固まっていく前にあらゆるものを感じさせられるかどうかと、なるべく嘘をつかない事だと思う。
そこで他者理解、他の生き物への関心と配慮、多様性や寛容性、そして出来る限りの選択肢を学ぶ事が出来ないと、大人になってからそれらを自ら学ぶ事はとても難しい。
人は見えないものを見ようとはしないから。

自分が親に教わらなかった事で、大人になってから学んだ事の多くは、精神的にかなり堪えるような瞬間だったように思う。
そしてその学びは生きているあいだは続く。

最近考えていたことの一つに、人間同士、生き物同士は自分と似ているものに対して一緒に居て安心感を感じるし、異なる身体的特徴や価値観を持つ相手には不安感や不信感を感じる。
だからなのか、みな自分の近くの人たちとだいたい似たような事を言って生きている。
だけどどうだろう。
心の中にある本当の言葉を伝えてしまったら、今まで作り上げてきた関係性が壊れてしまうかもしれないというバイアスがかかって、伝えられない言葉や心たちはどこに向かうんだろう。
皆で作り上げてきたこの世界はどんどん、本当の言葉や心の声を隅へ追いやってはいないか。
その心の声はきっと、鍵垢の独り言に変わるけど、本当の意味で救われることは難しい。
もしくは、顔の見えない鋭い言葉の刃となって、誰かを無神経に傷つけたりしてるかもしれない。

年々自分が他者に対して思っている事を口にする事が、酷く怖くなったり、億劫になったりしている事を感じる。

話は少し戻って、コロナ前後で自分は人生の岐路に立っていて、音楽との向き合い方だったり、根本的な生き方を変えなければならないところにきていて、とても苦しかった時、今までの自分の全てを近しい人達に全て伝えた。
それは殆どの場合、先に書いたように、人間関係が壊れてしまうような事を話した。
そこで感じた「共に作り上げてきた関係性」みたいな、お互いの中にある優しさの皮を被った同調圧力のようなものをぶち壊した時、とても酷い事をしたと思った。
それまでの暗黙の取り決めを壊すのだから。

そのときは、もう歌は捨てようと思った。

でも、本当に思ってる事を人に伝えるとどうなるか苦しみと共に理解した自分には、もうそこに心の声があって、それを心の隅に追いやって生きていく事はもう出来ないのだから、もう音楽にするしか選択肢が残っていなくて、最終的には結局歌を手放すことは出来なかった。

これを読んでいる人に伝わるかどうかは分からない。
病んでいるとか、そういう一元的な見方で見られても困るし、ただ真剣に考えているので、心配されたところで、答えが見つかるまで考えを止める方法が分からない。

そういった世の中の仕組みやからくりを考えないで生きる事ができたなら、もっと楽だったろうと思う事もあるけれど、それが出来ないのだから、別の生き方を見つける他ない。

これを読んでいる人に伝わるかどうかは分からない。

ただ、この言葉が、読んでいる誰かの心に届いたら、その人がこの世界で生きる事について苦しんでいるなら、ここにも同じような感覚の人はいて、生きてますよ、と伝えたい。
そして人との付き合いの中で、そういった同調バイアスに対して、わかるときはわかる、分からないときは分からないと柔らかく伝える事ができるようになってから、幾分か人と接する事が以前より楽になった事は、その人に伝えたい。

こないだ養老孟司の講演の動画でちらっと見てハッとしたのが、算数から数学に移行する時に諦める人が千人に何人かいて。
それが計算にxとかyとかローマ字単語が出てきた時に起こるって話をしていて、正に自分はそうで。
なんでわざわざ置き換える必要があるのかが分からないし、最終的にa=b 
AとBは同じであるって。
いや、同じな訳ないやん。AはA、BはBです。
清水圭に言わせれば「岡村、タレはタレ、塩は塩やで」ですよ。
分からない人は、清水圭 ナイナイ 焼肉
で検索してください。

そう、養老さんがこの、a=bであるという計算式を受け入れる事というのが、この世界を生きる上で求められてるというような事を、確か言ってて。

あー、自分はあそこでコケたんだなぁ。
あそこを中一のまま、まだ納得してないんだなぁと、しんみり思いました。


そんな私が今年5年振りに出したアルバムのタイトルは「あわい」。
色んな意味を込めてつけた名前ですが、その中に
「あ=い」

「あ」は「い」である、というメッセージを込めていまして。
だから養老さんの話聞いてて笑ったんです。
数学の世界には行けなかったけど、音楽という道を歩いてきたら、結果中学生でつまずいたところの問題を知らず知らずのうちに解いてた。
理解してた。
そういう話です。

だから母親は、やりたい事をやれって言ったのかもね。なんて良いように捉えたりして。


どうでしょう、意味分かんないでしょう。

少し切り取っても、こんな感じの頭ん中で。
だから、歌にした方が伝わりやすいなって、なんとなくいつも行き着くんです。
音楽は受け取り方に正解も間違いもなく、優しく届く気がするから。

さて、遂に今週末仙台、わたくしの描いた鉛筆画に5人の画家が、絵の具だの草木の汁だの血と汗だのでたくさん色をつけてくれたのを、ようやく5年振りに皆さまに観て聴いてもらおうと思います。



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ここまで来るまで、本当に大変だった。

皆さんも同じだと思います。

皆にも仕事や学業があるように、これはわたしにとっての仕事であり、一生続いてほしい学業です。

昔からの人も、はじめての人も、我々6人と一緒に、音楽にわくわくしましょう。
感染対策しっかり、椅子席です。
まだ迷ってる方も来てくれたら、きっといい時間を一緒に作れると思います。
生音の喜びを分かち合いましょう。
お楽しみに。


今日の一曲


最近手塚プロの公式で1969年のどろろ観てて、とてもいいです。

こういう、ハナモゲラ語みたいな歌詞に何故かとても惹かれてしまう。

ハナモゲラ語


そして、時系列的に察するに、一休さんの歌はこの曲にインスパイアされているのではと個人的に思います。

今日も良い一日を!