富士吉田は、養蚕地として栄えた。
料亭等、飲食業も多く、接待等で利用されたのであろう。絹織物問屋の営業らが訪れ、賑わった。
この建物は子の神通り、子の神神社(ねのかみじんじゃ)の正面にある金寿司。寿司屋である。
ここから観ると二階に見えるが、実は三階まである。
玄関は左手にあり、トタンながらも弁柄色に塗られた唐破風だ。まるで妓楼建築のような出立ちである。
現在は住居として使用されており、随分前から営業はしていない様だ。
化繊が流通されてき始める昭和40年代以前は、養蚕も3000世帯程あったそうだが、現在は数件だけという事である。それ程廃れてしまい、時代が止まったかのような街並であったが、最近世界遺産に登録され、街もにわかに活気がある。この金寿司の脇から入る新世界通りも、一昨年前からは新世界乾杯通り、と名前を一新、活気のある通りとして蘇った。