キングダムが好きな方は「蔡沢」という人物をご存じかもしれない。
蔡沢とは、秦の宰相で、
会談ひとつで斉国を合従軍から離脱(25巻)させ、
秦王嬴政と斉王を引き合わせ(45巻)、
戦わずして六国制覇のうちの一国を成すという交渉のプロフェッショナル。
以前、「人の本質は金か?光か?」というブログでも書いたけど、
人の本質は”想い”であって、”金”
や”武力”
はあくまで"手段"
だと。
そう考えると、”想い”に対して、”手段”はいくらでもある。
問題が大きくなればなるほど、手段は強行化せざるを得ない。
戦争や、預金封鎖とかもそうかもしれない。
もっと小さな単位で言うと、会社だってそうかも。
だから、大事に至る前にベクトルを正しい方向に調整する「調整役」の存在が重要ではないかと。
蔡沢は、その秦王嬴政の”想い”に対して、”交渉”という手段を用い、戦わずして斉を落とした。
これにより、10万単位の兵の命が救われた。
派手ではないものの、これは本当にすごいことだと思う。
しかしこれは、”想い”が私利私欲のものではないことに限る。
斉王と秦王嬴政の対談
斉王が秦王嬴政に問うた内容はこれ。
”人が人を〇さなくてすむ世界がくる”と言ったが、
”国”を滅ぼされ、その日より仇敵国の人間に強制的に”秦人”にならされる六国の人間たちの苦しみ、
それをどうやって従わせる?武力でか?
秦国から見て滅ぼされる側に立つ斉王がしっかり納得できる答えはあるのか?
それに対して、秦王嬴政の回答はこれ。
征服戦争ではなかったことを説き理解してもらう必要がある。
中華統一は、新国建国の戦争だ。
”征服”とは”支配”だ。
六国を制覇した秦が征服者の体を取れば中華統一は確実に失敗する。
秦人は決して支配者となってはならない。
秦人が支配者とならなければ、亡国の民の”恐怖心”はまずはぬぐえる。
そして新しい国の形を伝えれば、国境なく争乱は消え、人と物が自由に動き、混ざり合う世界をつくることができる。
しかし斉王はそれに対し空論だと言った。
支配なくしてこの中華七国を一国になどできるわけがない。
多種多様な文化・風習・信仰。
これほど複雑に分かれる中華の全人民を同じ方向に向かせるなど、逆にこれまでにない強烈な支配力を持つ者たちが上に立たねば実現不可能だ。
それに対し、秦王嬴政の回答。
その通りだ。
この中華統一の成功は、全中華の民を一手に実効支配する者の手にかかっている。
だがそれは絶対に”人”であってはならない。
”法”だ。
”法”に民を治めさせる。
”法”の下には元斉人も秦人も関係ない、王侯貴族も百姓も関係なく、皆等しく平等とする。
中華統一の後に出現する超大国は五百年の争乱の末に”平和”と”平等”を手にする”法治国家”だ。
それが俺が用意している答えだ。
2000年以上前から「法治国家」の概念があることが普通にすごいし、
ダイバーシティの考え方にも通じるし、
MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)みたいな感じだし、
そこから歴史的には封建制とか郡県制とか色々あるけど、
法治国家となった今も、法が全て正しいとは限らないけど、
これまでの人類の軌跡はすごいものがあるし、
書物で書き残すという知によってナレッジが今も受け継がれ、更に発展していけることも恩恵だと思う。
HRBP
話は大きくなりすぎたけど、
人事の究極形は蔡沢なんじゃないかと思う件について、
人事はHRビジネスパートナー(HRBP)であるべきだと思う。
経営と現場の橋渡し役となる、
MVVが理解できる環境を提供する、
落としどころを調整する、
心理的安全性を感じられるような、自由で平等な制度設計をする、など。
大事に至る前に調整できる人事がいる組織は強いと思う。
むしろ、人事じゃなくても、人知れず調整が出来る人がいる組織は強い。
組織は人で出来ている以上、
派手さはないけど、”想い”を”繋ぐ”ことが”人事”としての大きな仕事の一つだと思う。