今日はちょっとマニアックなお話。
キングダムを読んだことがある方はご存じかもしれないが、
39-40巻で人間の本質は何か?という、嬴政(秦の始皇帝)と呂不韋(丞相)の対談がある。
呂不韋は、人の本質は”金”だと言い、
嬴政は、人の本質は”光”だと言う。
呂不韋曰く、
貨幣制度が、人の歴史において最大の「発明」であり「発見」。
人が手に入れた武器は、日々進化する剣や槍ではなく「金」である。
「金」を操るのではなく、「金」を使って人々の”欲望”を操ることで国を治める、と。
一方で嬴政は、人の本質は「光」だと。
人が闇に落ちるのは、己の光の有り様を見失うから。
見つからず、もがき苦しみ、悲劇が生まれる。
その悲劇を増幅させ、人を闇へ落とす最大のものが「戦争」。
「武力」で戦争をこの世から無くし、人が人を殺さなくてすむ世界をつくる。
深すぎて素人が何か言うことさえ憚られる気もする
でもとても興味深い。
当時は戦国七雄の時代で今とは状況も環境も異なるかもしれない。
でも、現代でもちょっとリンクするところが少なからずある。
Web3.0で中央集権化を最大限縮小することは出来るかもしれない。
でも武力を行使できるのは国だけだったりすることも事実。
思想が違えば大なり小なり争いは起きてしまうし、
思想の統一なんて逆に独裁国家以外の何ものでもない。
じゃあどうすることがベストか?
正解はないかもしれないけど、嬴政と呂不韋の対談はあくまで極論であって、
「金」も「武力」も手段でしかないと個人的に思う。
だから人の本質は、その一歩手前の「想い」にあって、
それは「欲望」とも言えるかもしれないし、
「光」とも言えるかもしれない。
その「想い」を汲み取り、敵味方、内外、ではなく、
大事に至る前にベクトルを正しい方向に調整する「調整役」の存在が重要ではないかと。
そして、これは大なり小なり組織においては全て共通することのように個人的に思う。