「母」から受け取ったもの
きっと「母」を読まれた方の多くが、
青木さやかさんとお母さんの物語を、
自分と自分の母親との物語に手繰り寄せながら読まれたんではないかと想像してます。
私は母のことが大好きでした。
高度経済成長期に父と二人で寿司屋を営んでいたのでめちゃくちゃ忙しく、一緒にいられる時間は少なかったのですが、
自分の身を削りながら、おしみなく私に注いでくれている愛情を感じてました。
体調が悪くても手を抜かない母の背中を見ていたので、
反抗期?には、反抗してる場合でないなと思ってました。
けれど、
NHK「あさイチ」でも話させていただきましたが、
私が娘を妊娠する少し前から母の認知症が始まりました。
娘の乳児期に、母に色々教えてもらおうと楽しみにしていたのに、
私の想像していた乳児期ライフとは真逆の日々でした。
母は、娘のオムツを変えたこともなかったなぁ。
今となれば、どう手を出していいか分からなかったんだろうなと思います。
が、当時は、
どうしてどうしてどうして!と私の中の良妻賢母像がガタガタと崩れ、
なんで?どうして?とモヤモヤが募るばかり、これ反抗期⁉️と思うほど母を許せなかった時期が続き、
2歳の頃の娘のイヤイヤ期と同時に、母自身が認知症の症状の一つであろう被害妄想も強くなり、
母から信じられない様な言葉を数々浴びせられ、
私はいっぱいいっぱいでした。
そうこうしていたら、母は私が誰だかわからなくなり、
会話が成立しなくなりました。
そして、去年の7月に迎えた母の死。
会話が成立しなくなつて6年ほど。
何も話せないまま母が逝ってしまい、
未だに私の中にはモヤモヤがあり、
未だに母が逝った事を心の奥底から感じられていません。
そんな自分を責めてもいますが、もう諦めてもいました。
夫は、情に熱い私が、母のことを諦めている事に違和感を感じている様でもありますが、敢えて何も言いません。
そんな中、青木さやかさんの「母」を読ませていただいて、
諦めていた母を感じる事、を諦めるのをやめようと思いました。
何不自由なくゆったりと育った一人っ子の私が、
こんなにハングリー精神を持っているのは、
母が結果を出す事に厳しくしてくれたから。
私が娘にこんなに向き合えるのは、
母が私に向き合ってくれていたのを感じていたから。
だと認める事を努力してみようかなと思いました。
今でも、何で何で何でと、やって欲しかった事、かけて欲しかった言葉への欲求も湧いてきてしまいますが
向き合う事を諦めず見つめていこうと思いました。
私の子育てもこれでいいのか?
常に自問自答。