いよいよ明日は「大奥最終章」
並々ならぬ思いがあります。
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食べ物を用意してくれる持ち道具さんが一緒に芝居を考えてくれて、その上、私が芝居しやすいように
16年前、一番初めのシリーズの「大奥」の決定台本に私の名前は印刷されていませんでした。
決定台本が刷りあがる時点で浦尾役が久保田磨希に決まっていなかったという事です。
29歳の2月26日に衣装合わせ、かつら合わせをしました。
その時には、4話までで出番が終わる予定でした。
それから16年。
シリーズ全て、スペシャルも、映画も、舞台も出演させていただきました。
2011年の舞台を出産のためにお休みさせていただきました。
その時、「久保田の代わりはいない」と代役を立てずにやって下さいました。
こんな事、普通ではあり得ない。
本当に感謝しかありません。
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「お仲間に入れていただいて嬉しい」なんて言ってくださる木村文乃ちゃんや、
大奥が始まった頃は美波ちゃんはまだ2歳か3歳。
あっという間の16年でしたが、子供が大人になるんですものね。
ちなみに、美波ちゃんは必殺仕事人シリーズでは私の娘でした
あの時は、「大奥第一章」だなとか、
あの時は、「華の乱」だなとか。
思い出があります。
そして、シリーズが始まった頃の林徹監督はとにかく怖かった‼️
自分の責任で入れた俳優だったからでしょう、とにかくとにかく厳しかった。
あまりにも厳しいので
当時は、超厳しい事で有名だった
京都の撮影所のスタッフさん達がひたすら励ましてくれました。
「御膳所〔ごぜんしょ〕」という所を、撮影当初は「御膳所〔ごぜんどころ〕」と言っていて、
そのセリフだけ録り直すことになった時、スクリプターのみねこさんが、
「口になんか入ってた方が雰囲気でやすいか?」と自分のチョコレートをくれました。↓みねこさん
「これ使えるかな?と思って用意したけどどう?」といつも色々用意してくれていました。うえださん↓
そんなスタッフさんの中のお一人のベテランのお衣装さんが
大奥最終章の撮影をご一緒できないまま亡くなりました。
「くぼっちゃん、着せたるからおいで」といつも着物を着せてくれて、
「今日も頑張ったな」と脱がせてくれて、
「ホテルで食べな」と奥様が私のために買ってきて下さった、京都の美味しいお豆腐を持たせてくれたお衣装さん。
今回、着せて下さったお衣装さんが
「帯とか紐とかキツかったら言ってな、いつも松田さんが着せてたさかいにな😊こんだけ長いことやってて初めてやな〜」って。
撮影前に涙が溢れそうになりました。
色んな方に支えてもらって今がある、本当にそう思います。
大奥という作品に出会えたこと、
大奥で出会えた沢山の方々。
一生忘れませんし、私の宝です。
もっともっと書きたいけれど、長すぎますよね
明日は私は夜まで稽古で、リアルタイムでは見られませんが、
どうかどうか、皆さまご覧くださいませ。