No.15 中村 暖道
本日は、
中村暖(政策4・東海大大阪仰星)のブログをお届けします!8月最後のブログを担当します中村です。
最後のリーグ戦まであと1週間になりました。リーグ戦に向けてボルテージが上がってきていることでしょう。春リーグの雪辱をみんなで果たしましょう!
さて、早いもので気づけば引退ブログを書く順番が来てしまいました。14年続けてきた野球もあと少しで終わると思うと寂しいです。これまで私の野球人生に携わっていただいたすべての人へ心より御礼申し上げます。
野球人生について少し振り返らせていただきます。出来るだけ短く書いたので是非最後まで読んでください。
本格的に野球を始めたのは小学3年生で、幼いながらもプロ野球選手と同じボールを使うリトルリーグで、高いレベルで野球をやりたいと思い私の野球人生がスタートしました。
振り返ると色々なことが蘇ってきます。初めての試合の行き道で、人の車の座席のシートと手に持っていたヘルメットをゲロまみれにしてしまったこと。初めて柵越えホームランを打ったこと。上級生の試合に初めて出た際、緊張して応援してくれている親の方を見れなかったこと。リトルリーグでは、人として大切なことを学ぶことができました。
また、父は、平日も雨の日でも一人で練習ができるようにと部屋の中でティーバッティングができるスペースを作ってくれ、毎日欠かさず汗だくになりながらバットを振り続けていたのが思い出です。そのせいで、畳はボロボロ、照明カバーはヒビだらけ、壁はボールの型まみれとなってしまいました。
中学に上がると家の前にネットを設置し、練習できるようにしてもらいました。この練習は部屋の中と違い、打ち損じれば窓ガラスが割れる。家の向かいの川に流れてしまうという極度のプレッシャーの中、精神も鍛えられました。おかげで相当バットコントロールに自信がつきました。1人で試行錯誤しながら練習ができる環境を作ってもらったからこそここまで野球が上達したのだと思います。上手くなるための環境を作ってくれた父には感謝しかないです。
高校では、1年生の夏から背番号をもらい、のびのびプレーさせていただきました。監督はよく「自分にベクトルを向けろ」とおっしゃっていました。物事の方向や考え方を他人や環境に向けるのではなく、すべて自分自身に向けるということで、この言葉があったから、言動や取り組み方、どんな状況でも自分と向き合って、自分に厳しく野球に取り組むことが出来ました。
自分の代では、部員約120人の主将を務めさせてもらい、秋季大会準優勝、近畿大会出場を経験しました。しかし、決勝でコールド負け、近畿大会でもコールド負けという屈辱的な敗北を喫しました。全国クラスには勝てないのか、この差はなんなんだと悩み苦しむこともありました。最後の夏の大会では、健信(政策4・興國)の母校に最後のバッターでセンターフライに打ち取られたあの悔しさは生涯忘れることはないでしょう。
こんな悔しい思いのまま野球を終われるわけもなく、大学でこそ全国大会に出場したい。大声援の中で野球をしたい。そんな思いで関西大学野球部に入部しました。
自分より遥かにうまい人がゴロゴロいる中、毎日何とか食らいついて練習をする日々でした。そして、1年生の夏からAチームに入らせてもらい、絶対メンバーに入ってやると意気込んだものの、思うような結果が出せず、あと一歩でメンバー入りを逃すというのが、毎回の恒例となっていました。リーグ戦前の時期になると眞銅さん(令和3年度入学)と練習時間が被ることが多くなり、「この時期なったらいつも一緒におるな」と話していたことを思い出されます。また、「お前はこんなとこおったらあかん」と励ましの言葉をいただいたことで、自分を奮い立たせてここまで腐らず頑張ることが出来ました。
3年生の春のリーグ戦で初めて打席に立って、結果はサードゴロだったけど、スタンドから大声援を送ってくれて、何人も動画を撮ってくれてて、試合に出られたことよりみんなが応援してくれたことが何よりもうれしかったです。
4年生になると、肩の痛みが蓄積してきて全力で投げられなくて、垂れた送球するなと何回も言われ続けました。ファーストのみんな垂れた送球もちゃんと捕ってくれてありがとう。実は、今年人知れず自分の中で目標を掲げていました。それは、「試合でホームランを打つこと」です。高校まで当たり前のように打っていたホームランは大学では全く打てなくなりました。大学野球終わる前に何としても一本は打ちたいと意気込んで練習していました。そして、先日のオープン戦で目標を達成できました。不言実行、信じれば目標は達成できると自信になりました。ただ、リーグ戦では、ホームランはおろかヒットも打てていません。メンバーに入れるか分かりませんが、自分がやれることを最後までやり抜こうと思います。
両親へ
母へ
22年間育ててくれてありがとう。しんどい思いをすることもたくさんあったと思うけど、そんな素振りは見せずにお弁当を作ってくれたり、試合があれば毎回苦手な運転をして応援に来てくれてありがとう。大学では、思うようにいかず試合で活躍しているところはあまり見せられず、出場機会も少なかったのに、それでも仕事の休みを取って試合に来てくれてありがとう。頑丈に生んでくれたおかげで大きな怪我無く14年間やって来られました。これからも世話を焼くと思うけど、少しずつ恩返しさせてください。
チームメイトへ
110期大好きです。
キャプテン太誠(社4・大阪桐蔭)を中心に、副キャプテン悠平(商4・関大北陽)、健信、学生コーチ永剛(政策4・広陵)、克介(社4・天理)、嘉人(人健4・大阪学芸)、裕史(シス理4・滝川)。
次々と新しい取り組みや、練習・トレーニングメニューを考えてくれたり、幹部間での連携など、みんなの見てないところでもチームのために動いてくれてほんまにありがとう。小谷世代で野球できたこと誇りに思います。
一朗(社4・綾部)、長田(社4・関大一)、池戸(社4・京都先端科学大附)。三人がいなかったら関大野球部が、野球部として機能しなかったと思う。毎日野球部のために数えきれないほどの仕事をこなしてくれてありがとう。誠(総情4・滝川第二)、いつしか一緒に練習するようになって、時に励まし合って、奮い立たせ合いながら頑張ったね。ありがとうな。
みんなとは野球以外の時間も多く過ごしました。学年会、野手会のフットサル、旅行、誕生日会、銭湯巡り。みんなのおかげで充実しすぎた4年間を過ごすことができました。そんなみんなと居られるのもあと少しだと思うと涙が出そうです。絶対勝とう!
後輩へ
こんな俺を慕ってくれてありがとう。3年生は、就活もやらないといけなくて忙しい毎日になると思うけど、野球も就活も全部本気で取り組んで、悔いのない日々を送ってください。
1,2年生は、今頑張ってることは、絶対上級生になったときに生きてくるからしんどいことも自分を信じてやってほしいです。
最後に、関大の未来を担うお付きの森内(総情3・福井工大福井)、久保慶(商2・高松商)、近沢(法1・佐久長聖)。三人の野球スキル、練習への取り組み方には脱帽です。そんなお付きを持てて誇らしいです。上手くいかんことばっかりかもしれんけど、すべて自分の糧として強くなってほしいです。
リーグ戦での活躍を期待しています。また4人でお付き会しような。
野球人生を一言で
「一日一生」
一日一生(いちじついっしょう)。その日一日を最後の命日だと思って、悔いなく精いっぱい生きるべきだという意味です。毎日の練習を、人生の一日一日として全力で取り組んできました。それこそ、自主練習では、時間を忘れてバットを振っていたこともありました。
全力で取り組んだ一日のその積み重ねが自分を成長へと導いてくれました。また、言葉でうまく引っ張れるタイプではなかった自分は、とにかく背中で見せる、行動で示すことを意識して日々の練習に取り組む野球人生を歩んできました。人生において同じ日は二度と来ません。これからの人生も、一日一生で一日一日を全力で過ごしていきたいと思います。
最後に、皆さんごめんなさい。短く書いたって冒頭に書いたんですけど本当は3000字超えてました、、、
最後まで読んでくださった方大好きです。ご精読ありがとうございました!
次回ブログ担当者を中村が紹介…🐎
次のブログは、「昭和のスイング」これだけで満場一致でわかるあの人。令和の時代に昭和のスイングを受け継ぐ男は、スイングもスケールも何もかもが桁外れです。お楽しみに!