No.27 松本優真
偽善者の天斗から紹介預かりました、松本優真です。
偽善者だと言われていますが、天斗は根っからの善者であると私は信じています。
彼の最高のブログに続くことができるよう、心を込めて書きましたので、是非最後まで読んでいただけると幸いです。
1.野球人生の転機
振り返れば、父も兄も祖父もテニスに親しむ、いわば“テニス一家”で育った私にとって、野球はまるで縁のない世界でした。
ルールも分からず、白球に触れることさえ初めてだったあの日の自分が、まさかこの先13年間もボールを追い続ける人生を歩むことになるとは、想像すらしていませんでした。
仲の良かった友人のひと言に背中を押され、ソフトボールを始めたのは小学4年生の時でした。
運動神経にも恵まれ、練習すればすぐに上達していきました。
とにかくできるプレーが増えていくことが嬉しかった私は、母に無理言って夜間に羽打ちのピッチャーをお願いしたこともありました。笑
小学6年生の決勝戦――バットに当たった感覚すらないまま、気がつけば目の前には美しい放物線が描かれていました。
完璧な一打はそのままホームランとなり、チームを優勝へと導きました。
「もっと上手くなりたい」という思いと、自分の可能性を信じる気持ちから、中学では迷うことなく野球部を選択しました。
この期間で私は人格が陶冶され、私という人間の軸が確立されたと言っても過言ではありません。
野球の技術向上だけでなく、全力で声を出すこと、移動は常に走ること、そして目眩がするようなランメニューでも最後までやり切ることを徹底しました。
中学時代を思い出しながらブログを書いていますが、ライトポールに並んで声を出し続ける練習や、タイヤを使ってグラウンド全面を整備する作業、ボール回しで落球すればその本数分のPPを走るなど、思い返すと笑えてくるほど過酷な毎日でした。
まだまだ未熟だった私は試合に出る方法をひたすら考えた結果、監督の近くを通る時はより大きな声を出し、一番重い道具を持ちながらダッシュし、アピールしすぎな程に存在をアピールすることにしました。笑
そのアピールの甲斐もあり、1年生の秋の大会でライトを守らせてもらうことになりました。
初めての公式戦でガチガチに緊張していた私の頭上にフライが。
頭が真っ白になった私は、センターを守っていた先輩の「下がれ!!」の声で我に返りましたが、もう手遅れでした。
私のエラーが決勝点となり試合には敗北。
周りを見渡せば泣き崩れる先輩の姿が。
-自分のせいで負けた-と強く感じました。
初めてチームスポーツの怖さと責任を学んだ瞬間でした。 先輩方が引退されてからは本格的に投手を目指すようになり、これが私のピッチャー人生の始まりだったと思います。
中学を卒業し、高校でも投手としてさらに成長したいと考えていた私の元に、某進学校の野球部の監督が投手育成に長けているという情報が飛び込んできました。
それから机とにらめっこする日々が始まりました。
昼から夜まで塾の自習室にこもり勉強、帰ってから寝る前にベッドの上でその日覚えた単語を復唱、朝目が覚めたらもう一度覚えた単語を確認する、というような毎日でした。
これまでの人生でこの時期が間違いなく最も勉学に勤しんでいたと言いきれます。
無事に入学を果たし、憧れていた野球部に入部することができました。
進学校ということもあり、すぐに練習試合の機会を与えてもらえました。
高校初打席で、また〝あの感覚”を覚えました。
バットに当たった感覚すらないまま、気がつけば目の前には美しい放物線が描かれている、あの感覚です。(その後、高校3年生最後の夏の大会の4回戦でも、再び〝あの感覚”を味わうことができました。結果として、人生で最高の景色を三度も見ることができました。)
投手として大成することを目標としていた私は、体重を増やすために食トレを始めました。
母にお願いし、食事は1限終了後、2限終了後、昼休憩、練習前、夕食の計五回に増やしてもらいました。
周りにいる秀才達に、「まだお昼ちゃうで?」と何度言われたことか。笑
成果が見え始めたのは、冬を越え2年生になった春先でした。体重が10kg増加したことで球速も10km/h向上し、ついに140km台を突破することができました。
さらに夏には念願のエースナンバーを勝ち取り、チームとしても大阪ベスト16まで歩を進めることができました。進学校がここまで勝ち進むことは珍しく、学校全体でも話題となるほどの成果となりました。
そして、その後も投手として調子をさらに上げていた私は、来年こそは大阪ベスト8の壁を破るんだと強く意気込んでいました。
そんな矢先、最悪の出来事が起こることになります。
打者として練習試合に出場していた際、一塁へ出塁した私は、牽制に逆を突かれ、必死に帰塁〜その瞬間、右肩に激しい痛みが走りました。
右肩が本来あるべき位置よりも前にある感覚がしました。右肩の脱臼でした。
あまり大きな怪我をしたことがなかった私は、なんとかなるだろうという思いのまま病院で診察を受けると、そんな甘い考えを一蹴するような、耳を疑う言葉が返ってきました。
医師から告げられたのは、「もう一度野球はできるかもしれないが、投手としての復帰は厳しいかもしれない」というものでした。
私はベッドの上で一生分と思えるほど泣きました。
どん底から抜け出すきっかけをくれたのは両親でした。
「怪我の功名」という両親が与えてくれた言葉を胸に私はもう一度前を向く覚悟を決めました。
長いリハビリ生活では、厳しい状況だが投手復帰は不可能ではないと何度も自分に 言い聞かせることで自分自身を奮い立たせました。
あの時の自分には、本当によく頑張ったと伝えてあげたいです。
半年間のリハビリを乗り越え、春先の試合でもう一度マウンドからの景色を見ることが叶いました。
クサい言葉ですが、諦めずに誠心誠意取り組めば、必ず自分にとって良い結果が訪れるのだと、身を持って感じました。
周囲からのプレッシャーを感じる中、ついに最後の夏の大会を迎えました。
できる準備はすべてやり切った、ひたすら良いイメージだけを持って臨みました。
結果目標としていた大阪ベスト8には届きませんでしたが、やり残したことは何もない、そう言い切れるほどに部活に捧げた3年間でした。
その後、人格や礼儀を重んじる姿勢に魅了されて関西大学への進学を決めました。
この時は、この先こんなにも結果が出ず苦しい日々が続くことなど一切想像もしていませんでした。
それでも人間として成長することを重んじるチーム、また最高のメンバーと出会えて本当に、本当に関大野球部に入ってよかったと毎日感じております。
3.お世話になった人へ
両親へ
両親へは感謝してもしきれません。
家で1人の時では涙が出てきてしまうため、電車で書いています。
そしてここからはAIによる添削は一切せず、私の言葉で伝えることにします。
まずはここまで私がやりたいと言ったことを、一切否定せずに、それでいて正しい道へ導いてくれたこと、本当に感謝しています。
次から次に破れる靴下やユニフォーム、中学、高校、大学と進学するたびに必要になる異なる色のアンダーシャツやジャージも、要ると分かればすぐに買い与えてくれて本当にありがとう。
試合があると知れば、それが遠くても絶対に応援しに来てくれたね。
親が見ていると私は緊張して体に力が入るからという理由で見えない木陰の間から見守ってくれてありがとう。
大学に入ってほとんど結果を出せず、両親も私が活躍しチームで躍動する姿を見たかったはずなのに、帰ると毎回「誠心誠意取り組めば優真にとっていい結果になるから」と励まし応援し続けてくれたから頑張れました。
そして何より、どんなことがあっても私の1番の理解者であり1番の味方でいてくれてありがとう。
母へ
毎日毎日、私より遅くに寝ているにも関わらず朝起きれば弁当を完成させてくれていて、本当に感謝しかありません。
大学に入ってからは不規則な練習時間にも対応してご飯を作ってくれたね。
朝に部室で食べるお母さんのおにぎりも、何百個食べたやろう。ありがとう。
練習終わりには山盛りの洗濯物も次の日には必ずいい匂いになっていました。
そしていつでも私のことを1番応援してくれていたのは母でした。
私のことで私よりも喜び、また悔しがってくれていたのを知っています。
全国大会に出場した際、メンバーとしてではなくサポートメンバーとして行くことになったと伝えた時も、悲しかったはずなのに、「神宮球場の中入れるやん!」と言ってくれて本当に気持ちが軽くなりました。
プロ野球中継の面白さが分からないと言っていたお母さんも今では、生粋の阪神ファンですね。
次のピッチャーは〇〇や、と的確に言い当てる母は藤川監督の野球を完全に理解しています。(笑)
これからも私は実家に居座るので、あーだこーだ言いながらプロ野球中継を観戦しましょう。
父へ
いつでも冷静に物事をみて、私が判断を間違わないように手を引いてくれてありがとう。
お父さんのおかげでそれなりには一人前の漢になれたで。
野球の技術面のことは分からないからということで、試合前には気持ちの持ちよう一つでプレーが変わるということや、顔が固まることで体も緊張してしまうということを教えてくれたこと。
また、その日監督やコーチに叱られたことを話すと、その意味を噛み砕き、分かりやすく別の角度から新しい考え方を与えてくれたこと。
その他にも、野球をする前に人としての考え方を授けてくれて、本当にありがとう。
普段母ほど感情を表に出さない父ですが、母と同じくらい私が後悔ない人生を歩めるよう応援してくれていたのを知っています。
本当にありがとう。
最後になりますが、ここまでご指導いただいた山口さん、小田監督、火置コーチ、北原先生、田尻先生、合田トレーナー、中本トレーナー、久米トレーナー、安田さん、柴田さん、植田さん、早瀬前監督、OB・OGの皆様、本当にありがとうございました。
特に小田監督、山口さん、田尻先生のお三方には感謝しております。
小田監督は、結果を求めるあまり空回りしていた私に、『足るを知る』という言葉を授けてくださいました。
以前よりも純粋に野球を楽しむことができるようになりました。
また山口さんは、投手としてどこか物足りない私のために様々なことを試行錯誤し、伝授してくださいました。
山口さんに、「大学に来て一番のピッチングやったな」と言っていただけた時は本当に嬉しかったです。
そして田尻先生は、肘を怪我していながらも、リーグ戦に出場するためには練習試合で結果を出さなければならないと焦っていた私に対し、「ゆうま、調子はどうや?」「肩や肘が痛いんやろ?投げ方でわかる。絶対焦ったらあかん」と、いつも前向きな言葉をかけてくださいました。
田尻先生に見守られているような気がして、とても安心しました。
4.仲間へ
私は人生をやり直せると言われても、やり直したいとは思いません。
その大きな理由の一つは、最高の同期に出会えたことです。失いたくありません。
特に同期投手陣の存在は特別です。
顔を合わせない日の方が少なく、もう顔を見飽きたわ...と言いたいところですが、毎日毎日みんなと会えるのが楽しみで、そのおかげで厳しい練習も頑張れました。ありがとう。
わきとまよと練習時間が一緒になって以来、本当に毎日喋り疲れました。笑い疲れました。
どうでもいいことでちょけ合いながらも、厳しいことは言い合えるこの関係。最高の友達です。
さて、私達3人が抜けると同時にKBFのブルペンが少し静かになってしまう気がするのは私だけでしょうか。
残り1ヶ月と少し。後輩達を育て上げましょう。
2人には本当に尊敬と共に、感謝しています。個性豊かな関大投手陣を圧倒的な背中で引っ張ってくれてありがとう。
実は私は海晴に、投げる球種や体格も似ていたこともあり、勝手にライバル意識を抱いていました。
負けたくないという思いで必死に練習に取り組みました。
それでも隣を見れば、「ここまでやるか、まだいくか」と思わされる存在で、気づけばライバル心は「こいつと一緒に試合に出たい」へと変わっていました。
4回生の春季リーグ、近大に勝利した際に自然と出た涙は、海晴が誰よりも地道な努力をしているところを見てきたからこそ、自分のことのように嬉しかったのだと思います。
よねがプロ野球で活躍することはもちろんですが、〝可愛い女子アナに空振り三振!?“という新聞一面の記事も期待しています。
部屋汚いのはもう慣れたけど、さすがにベットの上で爪切るのはやめような。
たとえこの先部屋の大掃除をしたとしても、私の歯ブラシだけは捨てないでください。
あなたの家はとても居心地がいいです。
きっと家の居心地がいいのではなく、北村晄太郎といるその時間が楽しかったのだと思います。お世辞です。
同じ職業ってこともあって今後も頼り合っていくだろうと思うのでこれからもよろしく。
まっちゃんとは本当に色んなことがありましたね。
2人で色んなところに遊びに行き、1回生の時はリーグ戦の応援が終わってから二人で練習したりもしました。
いつしか練習相手は変わっていましたが。(笑)
BeReal事件や、人の顔加工事件など、ブログでは書ききれないのでこの程度にしておきますが、思い出ばかりです。
続きはまっちゃんの行きつけの店、“天満”の坊ちゃんで語りましょう。
雲の上の存在だと思っていた大阪桐蔭。
こんなにも思いやりがあり、常に人のために行動する姿勢にいつも感心していました。
人は中身が重要なのだと普段から提言していますが、その言葉通り性格で某飲料メーカーの内定を勝ち取った時は一緒に喜び合いましたね。
そして何よりも、やぎがキャッチボールをしている姿を見かけると絶対に見入ってしまいます。
それくらいえげつないボールを投げており、その都度やぎが大阪桐蔭出身だということを思い知らされました。
普通に人として好きです。
可愛い後輩達へ
ヘリオスからドルフィンズに乗り換えたやつ。地毛では説明がつかないアフロ。野球以前のことで怒られまくる三羽烏。先輩のことを完全に同期だと勘違いしてるデカ。私のどんな些細なボケでも確実に拾い上げてくれる腕体。「いやでしょ、ちゃうでしょ」と否定ばかりしてくるやつ。助っ人外国人なやつ。赤すぎるタンクトップでひたむきに練習するやつ。声がサルゴリラのスライディングニキ。おっさんになったトリコ小松なやつ。太ももとふくらはぎの太さが一緒なやつ。関大にピッチコムを導入したやつ。まさえ。家からグラウンドまで汗だくで自転車通学をすることでお金を浮かすが、全てギャンブルに使ってしまうバカ。ランメニューをやりたくないと手を挙げたことで山口さんにブチギレられた、土橋蓮なやつ。
本当に17人全員可愛い後輩です。
私達4回生とはまた少し学年の色が違います。
野球に対して真剣に取り組める人がこんなに多い学年は他にないと思います。
そして何よりも、3回生の人の良さは最強の武器です。
学年で一丸となることには全く苦労しないと思いますが、その人の良さ、優しさが甘えにならないよう、真の思いやりを持った投手陣を目指してください。
そしておつきの、里平(政策3・聖隷クリストファー)、山路(人健2・大阪桐蔭)、たつや(人健1・天理)。
いつも面白い話を聞かせてくれてありがとう。
またおつき会でゆっくり語りましょう。
山路!里平を頼んだぞ。笑
たつや、とてもとても期待しています。
5.野球人生にひとこと
恩送り
『恩返し』という言葉はよく耳にすると思いますが、恩送りとは〈人から受けた親切や恩を、その人ではなく別の誰かに渡していくこと〉という意味を含みます。
先輩方から学んだ野球の知識や、野球以外の人生の楽しみ方、そして食べたこともないような美味しいお店に連れて行っていただいた経験など、自分が受けた恩を途切れさせることなく後輩へと伝えていく——その姿勢を大切にしてきた私にとって、「恩送り」という言葉は非常にふさわしいものだと感じています。
6.ベストピクチャー
旅行に行くとなれば、必ずこにたん(商4・香芝)とまっすー(人健4・橿原)は一緒でした。
この日も、当時1回生だった私を含め5人で淡路島へ行きました。
しかし写真に写っているのは4人だけです。
普段は温厚なまっすーが、旅行中に高熱を出してしまい、イライラから半ばキレ気味で一人帰阪した――このエピソードは、何度思い出しても飽きません。
かたやそんな出来事は忘れて旅行を楽しむ最高のショットです。
7.次回予告
華の金曜日になると現れるハイエナ。
彼を目撃した人に話を聞くと、
なぜかいつもイケメンと行動しているという。
その理由は彼のブログを見れば
分かるかもしれません。
浪速のごっつぁあんゴーラーです。































