関西大学体育会野球部ブログ

関西大学体育会野球部ブログ

関大野球部の活動を紹介します!!
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No.27 松本優真


本日は、松本優(経4・三国丘)のブログを
お届けします!



偽善者の天斗から紹介預かりました、松本優真です。

偽善者だと言われていますが、天斗は根っからの善者であると私は信じています。

彼の最高のブログに続くことができるよう、心を込めて書きましたので、是非最後まで読んでいただけると幸いです。


 1.野球人生の転機


振り返れば、父も兄も祖父もテニスに親しむ、いわば“テニス一家”で育った私にとって、野球はまるで縁のない世界でした。

ルールも分からず、白球に触れることさえ初めてだったあの日の自分が、まさかこの先13年間もボールを追い続ける人生を歩むことになるとは、想像すらしていませんでした。



仲の良かった友人のひと言に背中を押され、ソフトボールを始めたのは小学4年生の時でした。

運動神経にも恵まれ、練習すればすぐに上達していきました。

とにかくできるプレーが増えていくことが嬉しかった私は、母に無理言って夜間に羽打ちのピッチャーをお願いしたこともありました。笑

小学6年生の決勝戦――バットに当たった感覚すらないまま、気がつけば目の前には美しい放物線が描かれていました。

完璧な一打はそのままホームランとなり、チームを優勝へと導きました。


「もっと上手くなりたい」という思いと、自分の可能性を信じる気持ちから、中学では迷うことなく野球部を選択しました。

この期間で私は人格が陶冶され、私という人間の軸が確立されたと言っても過言ではありません。

野球の技術向上だけでなく、全力で声を出すこと、移動は常に走ること、そして目眩がするようなランメニューでも最後までやり切ることを徹底しました。

中学時代を思い出しながらブログを書いていますが、ライトポールに並んで声を出し続ける練習や、タイヤを使ってグラウンド全面を整備する作業、ボール回しで落球すればその本数分のPPを走るなど、思い返すと笑えてくるほど過酷な毎日でした。

まだまだ未熟だった私は試合に出る方法をひたすら考えた結果、監督の近くを通る時はより大きな声を出し、一番重い道具を持ちながらダッシュし、アピールしすぎな程に存在をアピールすることにしました。笑




そのアピールの甲斐もあり、1年生の秋の大会でライトを守らせてもらうことになりました。

初めての公式戦でガチガチに緊張していた私の頭上にフライが。

頭が真っ白になった私は、センターを守っていた先輩の「下がれ!!」の声で我に返りましたが、もう手遅れでした。

私のエラーが決勝点となり試合には敗北。

周りを見渡せば泣き崩れる先輩の姿が。

-自分のせいで負けた-と強く感じました。

初めてチームスポーツの怖さと責任を学んだ瞬間でした。
先輩方が引退されてからは本格的に投手を目指すようになり、これが私のピッチャー人生の始まりだったと思います。


中学を卒業し、高校でも投手としてさらに成長したいと考えていた私の元に、某進学校の野球部の監督が投手育成に長けているという情報が飛び込んできました。

それから机とにらめっこする日々が始まりました。

昼から夜まで塾の自習室にこもり勉強、帰ってから寝る前にベッドの上でその日覚えた単語を復唱、朝目が覚めたらもう一度覚えた単語を確認する、というような毎日でした。

これまでの人生でこの時期が間違いなく最も勉学に勤しんでいたと言いきれます。


無事に入学を果たし、憧れていた野球部に入部することができました。

進学校ということもあり、すぐに練習試合の機会を与えてもらえました。

高校初打席で、また〝あの感覚”を覚えました。

バットに当たった感覚すらないまま、気がつけば目の前には美しい放物線が描かれている、あの感覚です。(その後、高校3年生最後の夏の大会の4回戦でも、再び〝あの感覚”を味わうことができました。結果として、人生で最高の景色を三度も見ることができました。)



投手として大成することを目標としていた私は、体重を増やすために食トレを始めました。

母にお願いし、食事は1限終了後、2限終了後、昼休憩、練習前、夕食の計五回に増やしてもらいました。

周りにいる秀才達に、「まだお昼ちゃうで?」と何度言われたことか。笑

成果が見え始めたのは、冬を越え2年生になった春先でした。体重が10kg増加したことで球速も10km/h向上し、ついに140km台を突破することができました。

さらに夏には念願のエースナンバーを勝ち取り、チームとしても大阪ベスト16まで歩を進めることができました。進学校がここまで勝ち進むことは珍しく、学校全体でも話題となるほどの成果となりました。


そして、その後も投手として調子をさらに上げていた私は、来年こそは大阪ベスト8の壁を破るんだと強く意気込んでいました。

そんな矢先、最悪の出来事が起こることになります。


打者として練習試合に出場していた際、一塁へ出塁した私は、牽制に逆を突かれ、必死に帰塁〜その瞬間、右肩に激しい痛みが走りました。

右肩が本来あるべき位置よりも前にある感覚がしました。右肩の脱臼でした。

あまり大きな怪我をしたことがなかった私は、なんとかなるだろうという思いのまま病院で診察を受けると、そんな甘い考えを一蹴するような、耳を疑う言葉が返ってきました。

医師から告げられたのは、「もう一度野球はできるかもしれないが、投手としての復帰は厳しいかもしれない」というものでした。

私はベッドの上で一生分と思えるほど泣きました。

どん底から抜け出すきっかけをくれたのは両親でした。

「怪我の功名」という両親が与えてくれた言葉を胸に私はもう一度前を向く覚悟を決めました。

長いリハビリ生活では、厳しい状況だが投手復帰は不可能ではないと何度も自分に 言い聞かせることで自分自身を奮い立たせました。

あの時の自分には、本当によく頑張ったと伝えてあげたいです。

半年間のリハビリを乗り越え、春先の試合でもう一度マウンドからの景色を見ることが叶いました。

クサい言葉ですが、諦めずに誠心誠意取り組めば、必ず自分にとって良い結果が訪れるのだと、身を持って感じました。


周囲からのプレッシャーを感じる中、ついに最後の夏の大会を迎えました。

できる準備はすべてやり切った、ひたすら良いイメージだけを持って臨みました。

結果目標としていた大阪ベスト8には届きませんでしたが、やり残したことは何もない、そう言い切れるほどに部活に捧げた3年間でした。


その後、人格や礼儀を重んじる姿勢に魅了されて関西大学への進学を決めました。

この時は、この先こんなにも結果が出ず苦しい日々が続くことなど一切想像もしていませんでした。

それでも人間として成長することを重んじるチーム、また最高のメンバーと出会えて本当に、本当に関大野球部に入ってよかったと毎日感じております。


 2.忘れられない一戦



莞爾(社安4・興國)、隼(政策4・興國)率いる興國高校との一戦は忘れられません。


 3.お世話になった人へ


両親へ

両親へは感謝してもしきれません。

家で1人の時では涙が出てきてしまうため、電車で書いています。

そしてここからはAIによる添削は一切せず、私の言葉で伝えることにします。


まずはここまで私がやりたいと言ったことを、一切否定せずに、それでいて正しい道へ導いてくれたこと、本当に感謝しています。

次から次に破れる靴下やユニフォーム、中学、高校、大学と進学するたびに必要になる異なる色のアンダーシャツやジャージも、要ると分かればすぐに買い与えてくれて本当にありがとう。

試合があると知れば、それが遠くても絶対に応援しに来てくれたね。

親が見ていると私は緊張して体に力が入るからという理由で見えない木陰の間から見守ってくれてありがとう。

大学に入ってほとんど結果を出せず、両親も私が活躍しチームで躍動する姿を見たかったはずなのに、帰ると毎回「誠心誠意取り組めば優真にとっていい結果になるから」と励まし応援し続けてくれたから頑張れました。

そして何より、どんなことがあっても私の1番の理解者であり1番の味方でいてくれてありがとう。


母へ

毎日毎日、私より遅くに寝ているにも関わらず朝起きれば弁当を完成させてくれていて、本当に感謝しかありません。

大学に入ってからは不規則な練習時間にも対応してご飯を作ってくれたね。

朝に部室で食べるお母さんのおにぎりも、何百個食べたやろう。ありがとう。

練習終わりには山盛りの洗濯物も次の日には必ずいい匂いになっていました。


そしていつでも私のことを1番応援してくれていたのは母でした。

私のことで私よりも喜び、また悔しがってくれていたのを知っています。

全国大会に出場した際、メンバーとしてではなくサポートメンバーとして行くことになったと伝えた時も、悲しかったはずなのに、「神宮球場の中入れるやん!」と言ってくれて本当に気持ちが軽くなりました。


プロ野球中継の面白さが分からないと言っていたお母さんも今では、生粋の阪神ファンですね。

次のピッチャーは〇〇や、と的確に言い当てる母は藤川監督の野球を完全に理解しています。(笑)

これからも私は実家に居座るので、あーだこーだ言いながらプロ野球中継を観戦しましょう。


父へ

いつでも冷静に物事をみて、私が判断を間違わないように手を引いてくれてありがとう。

お父さんのおかげでそれなりには一人前の漢になれたで。

野球の技術面のことは分からないからということで、試合前には気持ちの持ちよう一つでプレーが変わるということや、顔が固まることで体も緊張してしまうということを教えてくれたこと。

また、その日監督やコーチに叱られたことを話すと、その意味を噛み砕き、分かりやすく別の角度から新しい考え方を与えてくれたこと。

その他にも、野球をする前に人としての考え方を授けてくれて、本当にありがとう。

普段母ほど感情を表に出さない父ですが、母と同じくらい私が後悔ない人生を歩めるよう応援してくれていたのを知っています。

本当にありがとう。



最後になりますが、ここまでご指導いただいた山口さん、小田監督、火置コーチ、北原先生、田尻先生、合田トレーナー、中本トレーナー、久米トレーナー、安田さん、柴田さん、植田さん、早瀬前監督、OB・OGの皆様、本当にありがとうございました。


特に小田監督、山口さん、田尻先生のお三方には感謝しております。


小田監督は、結果を求めるあまり空回りしていた私に、『足るを知る』という言葉を授けてくださいました。

以前よりも純粋に野球を楽しむことができるようになりました。


また山口さんは、投手としてどこか物足りない私のために様々なことを試行錯誤し、伝授してくださいました。

山口さんに、「大学に来て一番のピッチングやったな」と言っていただけた時は本当に嬉しかったです。


そして田尻先生は、肘を怪我していながらも、リーグ戦に出場するためには練習試合で結果を出さなければならないと焦っていた私に対し、「ゆうま、調子はどうや?」「肩や肘が痛いんやろ?投げ方でわかる。絶対焦ったらあかん」と、いつも前向きな言葉をかけてくださいました。

田尻先生に見守られているような気がして、とても安心しました。


 4.仲間へ



私は人生をやり直せると言われても、やり直したいとは思いません。

その大きな理由の一つは、最高の同期に出会えたことです。失いたくありません。

特に同期投手陣の存在は特別です。

顔を合わせない日の方が少なく、もう顔を見飽きたわ...と言いたいところですが、毎日毎日みんなと会えるのが楽しみで、そのおかげで厳しい練習も頑張れました。ありがとう。



門𦚰(文4・関西大倉)、万葉
(人健4・報徳学園)へ

わきとまよと練習時間が一緒になって以来、本当に毎日喋り疲れました。笑い疲れました。

どうでもいいことでちょけ合いながらも、厳しいことは言い合えるこの関係。最高の友達です。

さて、私達3人が抜けると同時にKBFのブルペンが少し静かになってしまう気がするのは私だけでしょうか。

残り1ヶ月と少し。後輩達を育て上げましょう。


海晴(商4・徳島商)、よね(人健4・金沢)へ

2人には本当に尊敬と共に、感謝しています。個性豊かな関大投手陣を圧倒的な背中で引っ張ってくれてありがとう。


実は私は海晴に、投げる球種や体格も似ていたこともあり、勝手にライバル意識を抱いていました。

負けたくないという思いで必死に練習に取り組みました。

それでも隣を見れば、「ここまでやるか、まだいくか」と思わされる存在で、気づけばライバル心は「こいつと一緒に試合に出たい」へと変わっていました。

4回生の春季リーグ、近大に勝利した際に自然と出た涙は、海晴が誰よりも地道な努力をしているところを見てきたからこそ、自分のことのように嬉しかったのだと思います。


よねがプロ野球で活躍することはもちろんですが、〝可愛い女子アナに空振り三振!?“という新聞一面の記事も期待しています。


北村晄太郎(人健4・生駒)へ

部屋汚いのはもう慣れたけど、さすがにベットの上で爪切るのはやめような。

たとえこの先部屋の大掃除をしたとしても、私の歯ブラシだけは捨てないでください。

あなたの家はとても居心地がいいです。

きっと家の居心地がいいのではなく、北村晄太郎といるその時間が楽しかったのだと思います。お世辞です。

同じ職業ってこともあって今後も頼り合っていくだろうと思うのでこれからもよろしく。


まっちゃん(環都4・浪速)へ

まっちゃんとは本当に色んなことがありましたね。

2人で色んなところに遊びに行き、1回生の時はリーグ戦の応援が終わってから二人で練習したりもしました。

いつしか練習相手は変わっていましたが。(笑)

BeReal事件や、人の顔加工事件など、ブログでは書ききれないのでこの程度にしておきますが、思い出ばかりです。

続きはまっちゃんの行きつけの店、“天満”の坊ちゃんで語りましょう。


やぎ(総情4・大阪桐蔭)へ

雲の上の存在だと思っていた大阪桐蔭。

こんなにも思いやりがあり、常に人のために行動する姿勢にいつも感心していました。

人は中身が重要なのだと普段から提言していますが、その言葉通り性格で某飲料メーカーの内定を勝ち取った時は一緒に喜び合いましたね。

そして何よりも、やぎがキャッチボールをしている姿を見かけると絶対に見入ってしまいます。

それくらいえげつないボールを投げており、その都度やぎが大阪桐蔭出身だということを思い知らされました。

普通に人として好きです。



可愛い後輩達へ

ヘリオスからドルフィンズに乗り換えたやつ。地毛では説明がつかないアフロ。野球以前のことで怒られまくる三羽烏。先輩のことを完全に同期だと勘違いしてるデカ。私のどんな些細なボケでも確実に拾い上げてくれる腕体。「いやでしょ、ちゃうでしょ」と否定ばかりしてくるやつ。助っ人外国人なやつ。赤すぎるタンクトップでひたむきに練習するやつ。声がサルゴリラのスライディングニキ。おっさんになったトリコ小松なやつ。太ももとふくらはぎの太さが一緒なやつ。関大にピッチコムを導入したやつ。まさえ。家からグラウンドまで汗だくで自転車通学をすることでお金を浮かすが、全てギャンブルに使ってしまうバカ。ランメニューをやりたくないと手を挙げたことで山口さんにブチギレられた、土橋蓮なやつ。


本当に17人全員可愛い後輩です。

私達4回生とはまた少し学年の色が違います。

野球に対して真剣に取り組める人がこんなに多い学年は他にないと思います。

そして何よりも、3回生の人の良さは最強の武器です。

学年で一丸となることには全く苦労しないと思いますが、その人の良さ、優しさが甘えにならないよう、真の思いやりを持った投手陣を目指してください。



そしておつきの、里平(政策3・聖隷クリストファー)、山路(人健2・大阪桐蔭)、たつや(人健1・天理)。

いつも面白い話を聞かせてくれてありがとう。

またおつき会でゆっくり語りましょう。

山路!里平を頼んだぞ。笑

たつや、とてもとても期待しています。


 5.野球人生にひとこと




恩送り


『恩返し』という言葉はよく耳にすると思いますが、恩送りとは〈人から受けた親切や恩を、その人ではなく別の誰かに渡していくこと〉という意味を含みます。


先輩方から学んだ野球の知識や、野球以外の人生の楽しみ方、そして食べたこともないような美味しいお店に連れて行っていただいた経験など、自分が受けた恩を途切れさせることなく後輩へと伝えていく——その姿勢を大切にしてきた私にとって、「恩送り」という言葉は非常にふさわしいものだと感じています。


 6.ベストピクチャー


旅行に行くとなれば、必ずこにたん(商4・香芝)とまっすー(人健4・橿原)は一緒でした。

この日も、当時1回生だった私を含め5人で淡路島へ行きました。

しかし写真に写っているのは4人だけです。

普段は温厚なまっすーが、旅行中に高熱を出してしまい、イライラから半ばキレ気味で一人帰阪した――このエピソードは、何度思い出しても飽きません。

かたやそんな出来事は忘れて旅行を楽しむ最高のショットです。


7.次回予告

華の金曜日になると現れるハイエナ。

彼を目撃した人に話を聞くと、

なぜかいつもイケメンと行動しているという。

その理由は彼のブログを見れば

分かるかもしれません。

浪速のごっつぁあんゴーラーです。

No.26 砂川天斗


本日は、砂川(総情4・東播磨)のブログを
お届けします!



えいちゃん(法4・三原)、紹介ありがとう。

四回生の砂川です。まだまだ先だと思っていた4年生ブログと向き合っていることが本当に信じられません。

野球人生もあとちょっとかと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。

今までの野球人生を振り返りながら、素直な気持ち書くので是非最後まで読んでいただけると嬉しいです。



 1.野球人生の転機


私の野球人生の始まりは、小学二年生の頃でした。

周りにサッカーをしている子が多く、両親に「サッカーをしたい」とお願いすると、お父さんから「サッカーするなら見に行かへんからな。」と言われ、兄の背中を追うように野球を始めました。

兵庫播磨リトルリーグという人数の少ないチームに入ったことで、すぐに試合に出ることができ、野球の面白さに一瞬にして引き込まれていきました。

5つ上の兄が全国大会に出場し、一番センターとして活躍する姿を間近で見て、兄を超えたいと思い、必死に練習していたことを覚えています。

お父さんには仕事終わりでもよく指導してもらい、「脇を締めて、内から出せ」と口酸っぱく教えてもらいました。大学のみんなから今のスイングを「インサイドイン」と言ってもらえるのは、お父さんのおかげです。



中学では、強豪高校で甲子園を目指したいと思い、神戸須磨クラブに所属しました。

須磨クラブでは入部当初から最弱世代と言われ続けましたが、仲間にも恵まれ、朝早くから夜遅くまで切磋琢磨しながら野球に取り組むことができました。

今では考えられない厳しい指導の中で、野球の技術以上に精神的な部分を鍛えていただきました。今となっては、すべてが良い思い出です。

その後、強豪校から声をかけてもらえず進路に悩みましたが、兄が進学していた東播磨高校に魅力を感じ、必死に勉強して進学しました。

そこで福村監督と出会い、三年間を通じて野球だけでなく、人としての在り方を教えていただきました。

よく言われていたのが、「視野を広く、物事の背景まで考えろ」という言葉です。

何事にも携わってくれた人がいることを忘れず、感謝の気持ちを持ってプレーすること。

練習でも、ただ回数をこなすのではなく、意図を持って取り組むこと。

当時は「またか、しんどいて。」と思うこともありましたが、今振り返ると、あの指導があったからこそ、周りの人の気持ちを考え、思いやりを持って行動できるようになったと思います。

プレー面でも、安定した成績を残せるタイプではなかった私を、一年生の夏頃から期待して粘り強く指導し、使い続けてくださいました。

本当にありがとうございました。

そして高校二年生の春、甲子園に出場を果たし、全校生徒やOBの方々の前で、泥臭くタイムリーを打った時の歓声は、今でも鮮明に覚えています。

甲子園から帰った一発目は、廊下を肩で歩いていたのかもしれません。笑

最後の夏は4回戦で敗れてしまい、その悔しさから大学野球に打ち込むことを決めました。


大学では、同期にも上級生にも下級生にも、上手な選手が山ほどいました。

入部当初、金丸さん(2021年入学OB)のキャッチボールを近くで見た時には、すごいところに来てしまったと困惑したことを覚えています。

一回生、二回生の頃は、チャンスをいただいてもなかなかものにできず、自分のできなさにやるせなさを感じていました。

高校時代に一緒に苦楽を共にし、汗水を垂らしてきた関学の高山隼が下級生の頃から活躍する姿を見て、嬉しい反面、正直とても悔しかったです。

そんな中、プレイヤーとしてユニフォームを脱ぎ、チームの勝利のために学生コーチを務めていた先輩方が、ものすごくかっこよく見えました。私も、プレイヤーとしての活躍だけではなく、チームのために熱を注げる先輩になりたいと思うようになりました。

同期の大奈(総情4・福井工大福井)や千聖(経4・英明)、先輩の小谷さん(2022年入学OB)、克さん(2022年入学OB)、ノリさん(2022年入学OB)など、たくさんの方に相談し、親身になって寄り添っていただきました。

ありがとうございました。

そして、プレイヤーとして応援してくれていた両親に「学生コーチをしたい」と伝えることは、ものすごく伝えづらかったです。

実家に帰ってその話をすると、お母さんは号泣し、普段温厚な父親までもが目を潤ませながら話を聞いてくれました。

その姿を見て、本当に申し訳ない気持ちになりました。

同時に、両親がそれだけ自分のことを本気で考え、応援してくれていることに気づかされました。

たくさん話し合った結果、最終的には選手として続けることになりましたが、あの話し合いがあったからこそ、選手としてチームにどう貢献するのかを深く考えられるようになりました。

選手としてはもちろん、Bチームのリーダーとしても、行動や言動、姿勢でチームを一つにするという思いを持って野球に打ち込んできました。

最後まで目を引くような個人成績は残すことはできませんでした。

それでも、関大野球部での4年間を通して、野球の技術だけではなく、人としての厚みを増すことができたと思っています。

この秋リーグは、個人としても森内世代としても集大成です。

最後まで足を止めることなく、最高のチームをつくり、これまで支えてくださった方々に恩返しができることを信じて、野球に打ち込みます。

野球から、私はたくさんのGIVEをもらいました。

最高の仲間。

苦労を重ねるからこそ感じられる幸福感。

あらゆる正しい考え方。

多少のことではめげないメンタル。

ここぞの時に出る執念。

そして、日焼け止めを塗っても意味のない、黒光りしたたくましい肌。

すべて、私の宝物です。


 2.忘れられない一戦



神宮大会での慶応義塾大学との決勝戦です。

最終学年になり、指導者の方々、幹部、学生コーチ、マネージャーなどたくさんの方がチーム作りを懸命にしてくれていたのを間近で見てきました。

野球や私生活の部分に対して細部にまでこだわり、勝ちと価値の両方を追求することに、全員で取り組んできました。

そんな苦労があったからこそ、日本一という大きな目標を達成できたと時は嬉しかったし、先輩方が作り上げてきてくれた伝統の関大を繋ぐことができてものすごく達成感を感じることができました。

試合に出ているメンバーと応援しているメンバーが一体となり、神宮という晴れ舞台で学歌と逍遥歌を歌った瞬間はこの先も忘れることはないでしょう。

ちなみに優勝した時は、目がウルウルしていました。

しかし、親友の樋口雄太(社4・神戸学院大附)が泣きすぎるあまり、心配が勝ち、涙腺は引いちゃいました。お互い優しすぎました。笑


 3.お世話になった人へ


まず初めに、小田監督をはじめとした指導者の方々本当にありがとうございました。

関大野球部に入り、恵まれた環境の中で野球ができて本当によかったです。

心から感謝しています。

残り短い時間ですが、最後までご指導のほどよろしくお願いします。


そして家族にも感謝しています。


お父さん

苦しい時も悔しい時もいつもお父さんに助けられました。

仕事から帰ってきて疲れているはずなのに、野球の話を聞いてくれたり、ティーをあげてくれました。

普段からずっと優しく、人想いの部分は昔も今も変わらずです。

無理しすぎず、たまにはゆっくりしてね。

お父さんみたいな人望の厚い男になれるようにこれからも頑張ります。


お母さん

過保護かというくらい大切に育ててくれてありがとう。

一人暮らしをしている時に、みんながお母さんのお弁当を食べているのを見て、お母さんの料理を食べたいなって何度も思いました。

自分がだらしない性格だから迷惑や心配をかけたことと思います。

これからも自慢の息子になれるように頑張ります。

社会人になっても、時間があったら実家に帰るね。一緒にお出かけとかしよう。


お兄ちゃん

ずっとお兄ちゃんの背中を追い、生きてきました。

何事にも真面目に取り組む姿勢は本当にはすごいと思います。

これからも自分を高める原動力でいてください。いつもありがとう。


たくさんの先輩方にも感謝しています。ご飯に連れて行ってくださったり、考え方を教えてくださったり、いじってくださったりした時間全てがかけがえのない宝物です。

そのなかでも特に小谷さんにはものすごくお世話になりました。

小谷さんとは同じポジションだったことや趣味が一緒だったこともあり、三年生の夏から仲良くさせていただきました。チーム作りの話や技術面の話、考え方の話、桐蔭のおもろい話などたくさんのことを話させてもらいました。

初めてご飯に連れて行ってもらった時に、キャプテンになる大奈と仲もいいし、お前が大奈を支える役割になれよと言ってくださったことを覚えています。

幹部だけの力でチームをまとめることはできないし、そうなった時に縦にも横にもくみ取りながら行動できるピースがチームにおいて必要であるという話でした。

チーム作りに苦労し、悔しい結果で終わった小谷さんだからこそ、ものすごく今でも心に残っているし、自分がプレイヤーとしての生きる道を見出させていただきました。

本当にありがとうございました。



ツンデレなおつきの鹿熊さん(2022年入学OB)にも感謝しています。

何度もご飯に連れて行ってくださいました。

また、誰よりも夜遅くまで練習に励み、ひたむきに努力する姿を背中で示していただきました。

そんな背中にはまだまだ遠いですが、追い付けるように頑張ります。

また話聞いてください。


 4.仲間へ



入部前は、友達できるかなと不安に思っていました。でも、気づけば、何も気を使わずにいられる親友になっていました。

思い出に浸りながら一年生の頃の写真を見返していると、特に山ちゃんが痩せて、かっこよくなりすぎていてびっくりしています。笑

この四年間、野球での苦楽も、プライベートも、毎日のように一緒に過ごしてきました。

だからこそ、これからこの仲間以上の人たちに出会えるのかなと、新たな不安が出てくるほどです。

偽川、不義理川、砂財、オプ川などこれまでたくさんの名前で呼ばれてきましたが、そんな何気ない時間が本当に幸せでした。

そして今になって、それが決して当たり前ではなかったことに気づき、寂しさでいっぱいです。

でも、そんなことを言っている場合ではないですね。

今年の秋リーグも、大奈がずっと言い続けている「凡事徹底」を最後まで貫いて、一日でも、一試合でも長く、この仲間と野球をしよう。

111期全員で、あの景色をもっかい見に行こう。

次は確定で、砂川の涙が見られると思います。笑



大奈とは、一番多くの時間を共にしたと思います。

毎回夜中のコンビニで話す度、大奈には敵わんと思わされました。

「最近のBどんな感じなん」とか「こいつの背中たたいてやってくれへんか」などとチームの勝ちと価値の両方のために常に真摯に向き合っていることを話の中でも行動でも示してくれたからこそ、自分もよりチームの勝利のために動けるようになったんだと思います。

周りの人からするとただのコンビニでの集まりに見えてたかもしれませんが、自分にとっては、勉強になる、一番気持ちが安らぐ場所でした。

ありがとう。

最近では親友の雄太や稟(社安4・西大寺)、イナちゃん(社安4・佐賀北)と語ることも増えています。ものすごく楽しみになっています。

まだまだシーズン最後まで大奈とは語りに語って最高のチームを目指し続けます。


学生コーチの、千聖、オザ(文4・関大一)、雄大(総情4・関大一)、キャベツ(文4・松江南)、おっくん(総情4・関大一)。

プレイヤーとしてやりたかったはずやのに、夜遅くまでグランドでずっとノック打ってくれたり、バッピしてくれたり、メニュー考えてくれてありがとう。

みんながいると安心感がすごくて、野球がやりやすかったです。本当に感謝しています。


そしてマネージャーのゆうき(経4・矢上)、えいちゃん、はるちゃん(人健4・桃山学院)。

人のためにそれだけ動ける人ってどんな考え方をしているのか普通に気になります。

いろいろ勉強させてください。

野球しやすいようにずっと見えないところで運営、サポートしてくれてありがとう。


ブレイズトリオの雄太、隼(政策4・興國)。

お前らはもうわかってると思う。

大好き。ただそれだけです。


ぶんちゃん(人健4・東海大大阪仰星)、りゅう
(政策4・広陵)、キャ(商4・尾道商)も最後まで一緒に野球できてよかった。

たくさん助けられました。

これからも頼らせてください。


メモリアルマッチで引退した仲間も毎日補助ありがとうね。


後輩へ

下級生の頃はプレイヤーとしてリーグ戦で輝くことだけがベストだと思っていました。

今は少し違います。

部員が200人近くいる中で、自分の持ち場を理解してどう貢献しようとするかが大事だと思っています。

プレイヤーとして活躍する以外にもたくさん輝ける場所があるので、しんどいことも思い切ってやってみてください。

その積み重ねがたくさんの信頼を生み、応援される選手になることができるからです。

ずっと応援しています。

あ、あとアップのダル絡みについてきてくれてありがとう。楽しませてもらいました。笑


お付きのみやしょう(文3・観音寺第一)、れい(政策2・聖隷クリストファー)、軸屋(文1・東播磨)。

もっとがっついてな。

過剰なくらいがちょうどええから笑。

リーグ戦出て活躍してくれることを楽しみにしときます。応援しています。


最後に応援団のみなさん。どれだけ暑くても、寒くてもいつも球場に足を運び、大きな声援を共に届けてくださりありがとうございました。



関大野球部に入って、人として成長できました。関わってくれた全員ありがとう。


 5.野球人生にひとこと



GIVE


GIVEにしました。

野球で結果を残せてきた16年間ではなく、野球から多くのことを与えてもらい、自分も誰かに与えることのできる人に成長できた野球人生でした。

野球人生が終わっても、だれかのためにを原動力に行動できる大人への修行を重ねていきます。16年間ありがとう。


 6.ベストピクチャー



関学さんとのメモリアルマッチでの試合です。

大きな球場を借り、たくさんの応援団も来てくれて、戦えたことが嬉しかったからです。

これはブレイズトリオでユニフォームを着て戦っているお気に入りの写真です。

この試合はキャプテンを務めて、気分が上がっていましたが、勝つってこんなにむずかしいんだと思わされた貴重な経験でした。

そしてなにより小谷さんや大奈が背負った背番号1をつけることができて幸せでした。


7.次回予告


一年生の頃からひたむきに努力をしてきたところを見てきました。

そんな姿を見てきたからこそ、

周りも自然と彼を応援したくなる、

人望が熱い男です。

彼を見てると、

自分が偽善者のように思えてきます。

キン肉マンみたいです。

ご期待ください。

No.25 用元英花


本日は、用元(法4・三原)のブログを
お届けします!



学生コーチ・樋口(総情4・関大一)からご紹介にあずかりました。

マネージャーを務めております。用元英花です。

拙い文章ではありますが、これまでの歩みを振り返りながら、支えてくださった方々への感謝と私なりの思いを綴らせていただきます。


 1.野球人生の転機


幼い頃から私の家庭では、毎日のように広島東洋カープの試合中継がテレビで流れていました。

野球が身近にあったことが影響してなのかは分かりませんが、私が小学校高学年の頃、弟が地元の少年野球チームで野球を始めました。

ちょうどそんな頃、25年ぶりにカープが優勝を果たします。

広島全体がカープの優勝に沸き、家族も大いに盛り上がっていました。

そんな熱気を身近に感じるうちに、私も少しずつ野球に興味を持つようになりました。


中学校に進学すると、野球部のマネージャーに興味を持つようになりました。

高校ではマネージャーに挑戦してみようと思い、色々と調べていく中で、大学野球を知ります。

関西大学が秋の神宮大会で準優勝したというネット記事を読んだのです。

私はすぐに野球部のInstagramをフォローしました。

投稿を見たり、ブログを読んだりするうちに、大学野球の面白さを知り、気づけば関大野球部にすっかり心を奪われていました。


高校進学後は、野球部に所属し同期の部員が少ないながらも、素晴らしい仲間に恵まれ、秋・春の大会では県内ベスト8を達成しました。

野球とは何か、マネージャーとは何かを教えてくださった指導者の方々、先輩方。

そして、仲間とともに一つの目標に向かい、勝利する喜びを教えてくれた同期。

高校3年間を通して出会った方々には本当に感謝しています。


そんな高校野球を経て関西大学への進学を叶え、いよいよ念願だった関大野球部での生活が始まります。

今振り返ると、関大野球部に入部できたことが一番の転機だったのではないかと思います。

広島県の小さな島から大阪へ出てきて初めての一人暮らし、そして200名近くの部員を抱える大所帯の野球部へ入部。

環境が変わり、業務内容や求められるものも大きく変化しました。

未熟だった当時の私はわからないことも多く、先輩方にはたくさん支えていただきました。

また、ご迷惑をおかけしたこともあったと思います。

どんな仕事にも丁寧に向き合う姿勢やチームのために真摯に動くことの大切さなど。

言葉だけではなく、先輩方が実際に行動する姿を見ながら学んだことがたくさんあります。

未熟だった私を温かく導いてくださった先輩方には、感謝してもしきれません。

ありがとうございました。



学年が上がるにつれできることも段々と増え、今度は私たちの代がチームを担う時がやってきました。

マネージャーとして、これまで先輩方から受け取ってきたものを大切にしながら、自分たちの代だからこそできることがあるのではないか。

そんな思いを抱く中で、これまでとは違う立場でチームと向き合う責任と覚悟が芽生えていきました。

同期のふたりと話し合いを重ね、新しい試みを始める中で、後輩たちには負担をかけてしまったことも多くあったと思います。

それでも、私たちの考えに耳を傾け、一緒になってより良いチームを作ろうとしてくれました。

私たちの思いを受け止め、最後までついてきてくれた後輩たちがいたからこそ、ここまで歩んでくることができました。

ともに悩み、ともに考え、力を貸してくれた後輩たちにも、心から感謝しています。


そして、チームが掲げ続けてきた「日本一」という目標も、この春実現することができました。

春季リーグ戦を制し、続く全日本大学野球選手権大会でも優勝。

念願だった日本一の景色を、仲間とともに見ることができました。



春の日本一も、ここまで歩んできた道のりも、決して一人では成し遂げられなかったものです。

秋もまたチーム一丸となって戦い、再び日本一の景色を見るために、私も最後までチームのために自分らしく歩んでいきたいと思います。


 2.忘れられない一戦



試合ではありませんが、私の忘れられない思い出は優勝パレード・報告会です。

春季リーグ戦、そして全日本大学野球選手権を制し、開催していただいた優勝パレード。

関大前通りで地域の方々をはじめ、学生や大学関係者の方など、本当にたくさんの方々から温かい祝福をいただき、思わず涙が出そうになりました。

沿道からかけていただく言葉や笑顔に触れ、たくさんの方々に支えていただいていたのだと、改めて感じた忘れられない1日です。


 3.お世話になった人へ


はじめに小田監督、山口アドバイザリースタッフ、火置コーチ、北原先生、田尻先生、中本トレーナー、合田トレーナー、久米トレーナー、安田さん、学内関係者の皆さま、OBOGの皆さま、保護者の皆さま。

4年間いつも温かく見守り、支えてくださり、本当にありがとうございました。

マネージャーとして過ごす中で、たくさんの方々に声をかけていただき、助けていただきながら、今日まで歩んでくることができました。

皆さまからいただいた温かいお言葉や、支えが大きな力になっていました。

特に小田監督にはマネージャーとしてどうあるべきか、そのいろはを教えていただきました。

小田監督のもとで多くを学び、たくさんの経験を重ねたことは、私にとって大きな財産です。

4年間、マネージャーとしての道を示していただき、育ててくださったことに、心から感謝しています。本当にありがとうございました。


また、4年間どんなときもスタンドから力強い応援を送り続けてくださった、応援団の皆さん。

本当にありがとうございました。

選手たちのプレーと、スタンドから響く声援が一つになる、関大らしい一体感のある応援が大好きでした。秋も最後までよろしくお願いいたします。


そして、広島県から大阪へ出てきて、下宿をしながら野球部の活動を続けることができたのは、いつも家族の支えがあったからです。


父へ

大学に入ってからは、なかなか実家に顔を出すことができませんでした。

昔から、私がやりたいと言ったことには、いつも何も言わずに背中を押してくれていたように思います。

7年間も自分の好きなことに思い切り向き合えたのは、受け入れてくれた父のおかげだと思っています。ありがとうございます。

引退したら、たくさん実家に帰るね。

これからも見守っていてくれると嬉しいです。


母へ

最近では電話の頻度も減りましたが、大阪に引っ越してきた当初は、毎日のように電話をかけていましたね。いつも私の話を聞いてくれてありがとう。

悩んでいるときにかけてくれた「無理をしなくていいんだよ」という言葉に何度も助けられました。

また、大阪で暮らし始めて家事をするようになってから、これまで当たり前のようにしてくれていたことが、決して当たり前ではなかったことに気づきました。

家族のためにしてくれていたことの大変さを、少しだけ知ることができた気がします。

いつも本当にありがとう。

少しずつ、恩返ししていけたらと思います。


おじいちゃんへ

試合に勝ったときには「おめでとう」と連絡をくれたり、野球部での話を聞いてくれたり、遠くにいても私のことを気にかけてくれてありがとう。

また広島に帰ったときには、一緒に野球を見たり、お話をしましょう。これからも元気でいてね。


弟へ

大阪で一緒に暮らし始めて、こうして姉弟で一緒に生活するのも、考えてみればなかなかないことだなと思います。

これからも変わらず仲良くしましょう。

また美味しいご飯を食べに行こう。

これからもよろしく。


妹へ

大阪に来てからは、なかなか一緒に過ごす時間も多くないけれど、帰省したときに話したり、たまに連絡を取り合ったりする何気ない時間が、とても楽しいです。

これからも姉妹仲良く、旅行に行ったり、美味しいものを食べに行ったり、たくさん思い出をつくっていこうね。いつもありがとう。



 4.仲間へ



4年生のみんな、本当にありがとう。

グラウンドで話したり、学年会でお酒を飲んだり、みんなとだから野球部でかけがえのない日々を過ごすことができました。

最後までみんなのためにできることを頑張るので、秋も絶対勝って日本一になろう。


学生コーチのみんなへ



一緒にチームづくりをしてきたみんなには、本当にたくさんの刺激をもらいました。

立場は違っても、チームをより良くしたいという思いを持って、一緒に考えたり、意見を交わしたりしながら過ごせたことを嬉しく思っています。

お昼時にはマネ室でご飯を食べながらいろんな話をしたり、練習終わりに飲みに行ったり。

野球のことだけでなく、くだらない話をしてたくさん笑ったね。

引退しても年に一度は島根か大阪で集まってご飯食べようね!



大田(経4・矢上)へ

家族よりも顔を合わせ、たくさんの時間を一緒に過ごしました。

仲良くなると、マネ室で話をしたり、ご飯を食べに行ったりするのが楽しかったです。

4年生になってからは、普段の姿から打って変わって、主務としてどんどん頼もしくなっていく大田の姿を見て、私自身も「まだまだ頑張らないと」と奮い立たされることが多くありました。

「現状維持は衰退の始まり」とよく口にしていたけれど、振り返るとこれまでたくさんのことに挑戦してきました。

大田から何かを頼まれると嫌な顔をしてしまうこともあったけど、本当は頼ってもらえることが嬉しかったし、一緒にチームを支えることができて本当に良かったです。

忙しい日々が続くけれど、最後まで一緒に頑張ろう。まだまだよろしくね。


はるちゃん(人健4・桃山学院)へ

4年間、いつも一緒にいてくれてありがとう。

同期の女子マネージャーがはるかだったから、ここまでやってくることができました。

私が勢いで進んでしまいそうなときも、一歩引いて物事を考えて、自分の考えを伝えてくれるはるかに、何度も助けてもらいました。

自分にはない視点を持っているはるかの言葉に、気づかされることも多かったです。

委員長になってからは、大変そうにしている姿を近くで見てきたけれど、それでも最後まで責任を持って向き合っている姿は本当に尊敬しています。あと少し3人で力を合わせて頑張ろうね!

はるかと一緒にマネージャーができて、本当によかったです。

これからも変わらず、たくさん話して、たくさん笑おう!



森本(政策3・関大北陽)へ

私たちが引退すると、いよいよ森本たちのチームが始まります。

これからの約1年、きっと色々なことが起こると思います。

うまくいっているときこそ周りを見渡し、今のチームに何が必要なのかを考えてみてください。

当たり前を当たり前と思わず、より良くするために一歩踏み出す勇気も時には大切だよ。

そして、チームを引っ張っていく立場だからこそ、周りの同期を大切にしてほしいです。

一人でチームを動かすのではなく、同期とたくさん話して、悩んだときには頼って、みんなで同じ方向を向いて進んでいってください。

大変なこともたくさんあると思うけれど、森本ならできると思っています。がんばれ!


きら(政策3・関大北陽)へ

部活でもそれ以外の時間でもたくさんの時間を過ごしたね。

周りをよく見て、チームや相手のことを考えて動けるきらだからこそ、どんどんマネージャーを引っ張っていって欲しいです。

迷ったときには同期と一緒に考えて、時には自分の思うことをきちんと伝えてあげてください。

いつも一緒に過ごしてきたからこそ、きらなら大丈夫だと信じてる!ずっと応援しているよ!


ちーちゃん(社3・第一学院)へ

マネ室では隣の席でたくさんちょっかいをかけてしまいました。たくさんかまってくれてありがとう。

仕事を一つひとつ正確にこなす姿を隣で見てきて、いつも感心していました。

自分の任されたことに責任を持って、丁寧に取り組めるところは、大きな強みです。

悩んだときはなんでも話聞くからいつでも連絡して来てね!仲間を信じてがんばって!


 5.野球人生にひとこと



ひたむき


目の前のことに「ひたむき」に向き合い、駆け抜けてきた7年間のマネージャー生活でした。

これまでの経験、一つひとつの積み重ねが、今の私をつくってくれたのだと思います。

これからも目の前のことに「ひたむき」に向き合い、出会いや経験を大切にしながら生きていきたいと思います。


 6.ベストピクチャー



私が選ぶベストピクチャーは、ニュースレターの編集後記を撮影したときの一枚です。

4年間、ニュースレターをはじめ、日々の活動の中でたくさん話し合い、3人で力を合わせながら、多くの仕事に向き合ってきました。

特別な一日でもないけれど、こうして3人で笑っているこの写真を見ると、共に頑張ってきた時間を思い出します。

力を合わせて、ここまでやってくることができてよかったです。

残りの時間も、3人で最後まで走り切ろうね。


7.次回予告


学年一、いや、関大一優しい彼が、

4年間で差し伸べてきた手は数知れず。

果たして、その優しさは本物だったのか、

それとも偽物だったのか?

すべての真相が、彼のブログで明らかになります。

明日のブログもどうぞお楽しみに。