No.13 鹿熊 大誠 | 関西大学体育会野球部ブログ

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No.13 鹿熊 大誠



本日は、鹿熊(総情4・龍谷大平安)のブログをお届けします!


ご紹介に預かりました「かっくん」こと鹿熊大誠です。4回生ブログも始まって2週間ほどたち少しずつ読むことに慣れてきたと思いますが決して飛ばすことなく、私の今までの野球人生綴っていますので皆さんぜひ最後まで読んでください。

 

私は父や兄の影響で物心がついたときからボールとバットを持っており、幼稚園の帰りにはバッティングセンターに行ったり、家に帰ってからは兄が小学校から帰ってくるまで壁当てをしていたりまさに野球小僧でした。小学校1年生から地元の少年野球チームに入団し本格的に野球を始めました。小学校時代は凡退したら拗ねての繰り返しで親に怒られてばかりでしたが、高学年になるに連れ小学生ながら高校生になったら甲子園に行きたいと思い、中学生になると親からは厳しいチームに入れたいと言われていましたが、兄と同じ硬式のクラブチームに入団することになりました。今思うと兄の背中を追いかけてばかりでした。入団してすぐに肘の怪我をしてしまったり大一番で大エラーをしたり、念願の全国大会は怪我で試合に出れなかったりと様々な経験をした中学野球生活でした。それなりに結果を出していたことから、より甲子園を意識するようになり進路を迷っていたところ、京都の強豪・龍谷大平安高校から誘いがあったのですが、2学年上の先輩から「絶対にやめとけ」と言われるほど厳しい高校だと認識していました。ですが、どうしても甲子園に出たかったため入学することにしました。この決断が地獄の始まりであるが、今の自分がいるのもこの選択のおかげだと思います。

 

親元を離れ寮生活が始まり野球漬けの日々が始まるのかと思いきや地獄だったのは寮生活でした。今の時代とは思えないほど縦社会でこの経験はなかなかできるものではないと思っています。内訳はこの場で綴る事ができないので野球漫画の「バトルスタディーズ」の寮生活に似ているのでそれを参考にしてください。この厳しい寮生活を耐えたとおもいきやグラウンドに出ると軍隊のような毎日2時間ほどのウォーミングアップ、終わらないシートノックや地獄のランメニュー。本当につらくてやめたい毎日思いましたが両親へ恩返ししたいと思えば耐えることができました。そして2年の春、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言をきっかけに、少しでもチャンスがあると考え捕手から一塁手へのコンバートを決心しました。同期で一番下手くそだったため毎朝一人で壁当てをしており、この基礎練習が今の守備力に繋がっていると実感しているので継続して良かったと思います。2年秋から目標であった背番号一桁をつけさせてもらったのですが、全くと言っていいほど結果が出ずに近畿大会で二桁に降格してしまいました。本当に悔しかったため、「絶対に結果を出す。」その一心できつい練習のあと誰よりも早くそして誰よりも遅くまでバットを振り続けました。その結果、3年春と夏に一桁をつけて試合に出場することができ、今まで努力してきてことが報われた、練習は嘘をつかないことを身に染みて感じました。そして、大学では野球はせずに消防士になろうと考えていたのですが、2年の冬に監督さんと面談した際に関西大学を勧められ入学することになりました。

 

しかし、入学前から問題児として目をつけられ1年生の時には指導者の方々との会話は野球のことではなく必ず単位大丈夫か、授業行ってるか、でした。正直非常に腹が立っていました。この気持ちを晴らすことができるのは野球しかないと思っていたところ同期のSFでは唯一自分だけがCチーム。めちゃくちゃ悔しかったです。何しに来たんだと思いましたが3年生の学生コーチに相談し、「長所を伸ばそう」「良い物もってるから」という言葉をいただき絶対に結果を出してやろう、見返してやる、という気持ちになり毎晩誰よりも遅くまで置きティーをしました。結果を出すことができAチームに食い込むことができたそこから結果が出ない日々が続きましたそう簡単にはいかないと思いましたが、誰よりも練習した自信があったので嫌になることも多かったです。それでも結果が出なかった時に、"自分が劣勢に立たされた時に本当の自分が出る"と高校時代の監督さんの言葉を思い出し、ただひたすら自分と向き合い、練習するしかありませんでした。そして3年生で初めてリーグ戦のメンバーに選出されたときは本当に嬉しかったです。特に甲子園で行われた関関戦での守備は最高に気持ちよく二度と忘れることはないでしょう。そして今年の春のリーグ戦。絶好調で迎え初のスタメンに抜擢されたが、結果が出せず周りの期待に答えることができず涙を流しました。そんな時一番に「明日やり返そう、俺らで勝とう。」と声をかけてくれた悠平(商4・関大北陽)、「切り替えて明日やぞ。」と声をかけてくれるスタンドのみんな。落ち込んでいる時に声をかけられたことは本当に心強かったです。リーグはただただ悔しかったことしか覚えていないのリーグで必ずやり返してやります

練習の日だけではなくオフの日でも一緒に練習をしてくれる春瑠(法4・報徳学園)。真剣に取り組んできたからこそ今は悔しい思いをしていると思いますが、一番近くで見ていた自分も悔しかったです。いつでも練習付き合うので一日でも速くAに上がってこいよ普段は言いませんがお前しかおらんねん、早よ一緒に野球しようぜ。

こんな最高な仲間に恵まれて大好きな野球を思う存分できている自分は幸せものです。来週末から秋季リーグ戦が始まりますが、全員で東京に乗り込んでキャプテンを胴上げしてうまい酒で乾杯しましょう!

 これまでの野球人生で何度も逃げ出したいと思ったことがありましたが、今なら何度でも言えます。野球を続けてよかった。中学時代の指導者や高校時代から今も支えてくれたなど多くの出会いに感謝です過去も未来も、これからの人生には野球を通じて学んだことは必ず活きてきますそして16年間の野球人生でしたが最高で誰よりも充実していたと思います。野球ってこんなに素晴らしいスポーツなんだとブログを書きながら感じていました。こんな経験をさせてくれた野球には感謝しかないです。いつまでも素晴らしいスポーツでいてください。



 この4年間、指導者の方々のおかげでより充実した野球人生を送ることができました小田監督、火置コーチ、北原先生、田尻先生、山口さん、合田さん、中本さん、柴田さん、久米さん、植田さん、早瀬前監督、関大OB・OGはじめとする多くの方々の支えがありここまで成長する事ができました。特に自分を関大に誘ってくれた早瀬前監督、入学前から面倒を見てくれた小田監督、お前が頑張らなあかんと鼓舞してくれる田尻先生、本当に心強かったです。4年間お世話になりました。この受けた恩は日本一になって返したいと思いますのでこれからもよろしくお願いします。

 

家族へ

母へ

仕事がなければ紅白戦でも試合を見に来たり、高校野球も見に行くほどの野球好きな母。16年間何不自由なく野球をさせてくれてありがとう。幼い頃は練習を手伝ってくれたり、高校時代は遠い京都まで試合を見に来てくれたり、背番号を貰っときは自分のことのように喜んでくれましたね。実家に帰ったときは自分が大好きな料理を出してくれたり、わがままを嫌な顔せず聞いてくれたり感謝しかありません。もっともっと野球をしている姿を見せて恩返ししたいと思っていますその姿を見せることができるのもあと少ししかないですが絶対に楽しませるので最後まで応援よろしくお願いします。

 

 父へ

小学校の時は怒られてばかりでビビっていた自分を覚えています。それでも真剣にアドバイスをくれたり褒めてくれたことも忘れず覚えています。高校では仕事の都合のいい時間を作って二人でご飯に行ったり、夏の大会で負けたときも一緒に泣いてくれましたよね。今もLINEで色んな記事を送ってきたり、お小遣いをくれたり、いろんなことに関して支えてくれてありがとう。野球ここまで真剣に取り組むことができたのは間違いなく父のおかげです。また男同士で飲みに行きましょう。

 

兄にも書かせてください

小さい頃から兄の背中を追い続けてきましたが、追いつける気がしません。一番尊敬してます。バッティングの動画を送ってはアドバイスをくれ専属のコーチのような存在です。

アドバイスがなければ今の自分は絶対にないです。ありがとう、あと少し面倒見てな。

 

チームメイトへ


4年間ほんまにありがとう。今までのどの世代よりも話し合いをし、その都度意見が割れて雰囲気が最悪になったりしたけどこの46人やからこそ乗り越えてこれたと思います。個性まみれで毎日笑ってばかりであと少しでみんなとお別れすると考えるとさびしくて仕方ありません。少しでも引退を延ばせるようにみんなと野球をするために絶対神宮行って日本一なって大将胴上げしようタコパメン(小村(文4・大社)、小谷(社4・大阪桐蔭)、下井田(経4・報徳学園)暖道(政策4・東海大大阪仰星)十弥(政策4・足羽)曽我部(政策4・聖隷クリストファー))タコパやのに全然してないけど旅行にもったり誕生日を祝いあったり最高な思い出しかありません。社会人なってもみんなで集まろな。そして、砂川(総情3・東播磨)、宮本将(文2・観音寺第一)、伊藤玲(政策1・聖隷クリストファー)の3人はとにかく人が良すぎる。長所でもあり短所でもあると思うし、今しか全力で野球することないからもっと思い切って野球しろよ。お前らと野球するのもあとちょっとしかないけどこれからも頑張れ!応援してます。

 



野球人生へ一言で


人生に野球の心を





趣旨とは少しずれますが、高校時代の恩師から頂いた言葉です。野球だけが全てではない、しかし、野球をしてきたからこそ学んだことはたくさんあります。礼儀・礼節、忍耐力、考える力、やり抜く力、この他にも学んだことは数え切れないほどあります。これから先、社会人になっても野球人には変わりないので、常に野球を通じて学んだことを心に置き存分に活かしてこれからの人生を歩んでいきたいです。

 

  ​次回ブログ担当者を鹿熊が紹介…🐰

4年間、関大を支えてくれ同期から大人気のあの方!我がカリスマ副主将相方です!