【4年生ブログ53】茶谷哲兵 | 関西大学体育会野球部ブログ

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4年生ブログ vol.53


茶谷 哲兵

 

本日は茶谷哲兵(経4・西宮東)のブログをお届けします!

 

 

 令和五年春季リーグ開幕戦、京都大学に対し一点リードで迎えた最終回に、私はサヨナラツーランを浴びました。結果的にこの一敗が最後まで尾を引き、チームは優勝を逃しました。学生野球、そして野球人生の最後のシーズンであると気を改め臨んだシーズンでありましたが、私がこれまでしてきた愚行、或いはしてこなかった怠慢の数々が、決して良い結果に転じることを許さなかったのだと、今にして後悔しています。

 

 私は高校時代まで文武両道の生活をしていました。とはいっても勉強が8割、中学高校と入学するたびに野球部には入部をしましたが、入部当初の私に野球を続けたいといった強い意志は特になく、周りの勧めや評判、流れに身を任せ入部したに過ぎないのが正直なところでした。それでも入部以降はそれぞれにおいて恩師やかけがえのない仲間に出会い、選手であった間は真剣に野球に取り組むことができました。

 

 高校時代にある程度実績を残せた私は縁あって関西大学にSF生(スポーツ推薦)として入学が決まりました。大学は勉強で行く場所、スポーツ推薦なんて自分に縁もゆかりもないと思っていた私にとってSF生という肩書は人一倍大きな誇りでした。加えてそのSF生の同期の出身校は野球の名門校ばかりで、そこに超がつくほどの公立校である西宮東高校が名を連ねることに一種の快感を覚えていました。正直、当時の私はかなり浮かれていたと思います。

 

 しかし、現実は非情です。同期がどんどん試合に出ていく中、私には公式戦に出場する力量がありませんでした。そして、彼らに抱いていた期待や尊敬は次第に嫉妬に変わり、私は腐りました。とことん腐りました。今にして思えばまさに餓鬼そのものでしたが、当時の私にそれを理解するほどの余裕はありませんでした。自分に課した過剰な期待とは裏腹に何の成果も示せていない期間は非常に辛かったのを覚えています。「俺はSFだ、なのになぜ」そんな無駄なプライドが戦う目を殺していたのだと思います。

 

 投手責任者に任命されたときは本当に私でいいのかと本気で悩みました。実力も、練習量も、態度も、何もかも劣っている自覚があったからです。それでも引き受けたからには最後の一年はやり切ろうと、当時の私には珍しく使命感を覚えました。大学野球生活においてこの瞬間が最大の転機であったと思います。威厳も人望も実績もほとんどない私に何ができるのか、一人の時間はひたすらに考えました。チームの幹部として自分だけの視野で収まらないように行動し、またリーダーとしてプレーにおいても結果で示せる、そんな姿を目指し取り組みました。中継ぎである私の出場時間は時に5分にも満たないこともあります。しかしその数分、数球の一瞬のためだけに何日も何カ月も練習できたのはこの自覚が原動力としてあったためだと思います。

 

 現在の私は第一線で活躍できるまでに成長できました。勝つことの喜び、緊迫した場面で高鳴る高揚感、信頼される責任感、忘れていた感情を全て思い出すことができました。大学での四年間は紆余曲折ありましたが、低迷した期間を過ごした後に、ここまで戻ってこられたことに一定の自信を感じています。私の卒業ブログが公開される日は奇しくも秋季リーグ戦第6節の京都大学戦の前日であると聞いています。春に聞こえた落胆を、秋では歓喜に変えることを誓い、終わりとさせていただきます。

 

 最後に、今まで寄り添い続けて下さったスタッフの皆様、大学関係者の皆様、本当にありがとうございました。特に山口さんには頭が上がりません。どうしようもなかった若造に「悲しいわ」と言って下さったこと、お忘れかもしれませんが私は忘れません。とても心に響きました。重ねてお礼申し上げます。早瀬監督も私を見捨てず最後まで見ていただきありがとうございました。おかげさまで何とか、求められている最低ラインはクリアできたと思います。そして小田さん、チャレンジトーナメントからリーグ戦において精一杯腕を振ることができたのは、試合中の小田さんのお声掛けがあったからだと思います。最後まで寄せて下さる信頼に恥じない投球をお見せいたします。その他の方々もお一人ずつ感謝を述べたいところですが、字数の関係上割愛し、両親で締めさせていただくこと、どうかお許しください。

 

親父へ

ビリヤード付き合わなくなったら野球を辞めさせると脅され続けて16年が経ちます。おかげでビリヤードの方はだいぶうまくなりました。ダーツ、バイク、麻雀、その他も禄でもない趣味ばかり教えられて、野球を教えてもらった記憶は小2で終わっていますが、野球続けさせてもらったことにお礼を言っておきます。高校野球は一度も見に来ませんでしたが、無職になった春はたくさん見に来てくれました。再就職した秋もあと一試合くらいは見に来てはどうでしょうか。

 

母へ

今まで何かとサポートして頂きありがとうございました。小学校からずっと試合に出ているのに未だに私が投げるときには胃を痛くして、ベンチやスタンドの誰よりも私を信頼していないそうですが、そろそろ慣れてください。高校時代と変わらない量のご飯を未だに提供して下さることに「多いねん」とほぼ毎日突っ込んでいますが、そんな大量の飯を作ってもらうのもあと数カ月です。実家を離れるまでは散々甘えるので、馬鹿げた量の晩御飯を今後も覚悟してお待ちしております。改めて、今まで家事全般のサポートありがとうございました。

 

 

 チームメイトへメッセージ

 

同期へ

私はいたって「普通」であると心底信じておりますが、同期の多くの人から「変人」と形容されてきました。しかし皆がそう言うのであればそうなのでしょう。そんな恐らく変人である私をいじめるでもなく仲良くしてありがとう。特に投手のみんなとは本当に楽しい時間を過ごせました。関りが深かった人も、正直そうでもなかった人も今後出会うことがあれば、ぜひ昔話に花を咲かせましょう。その前に、最後に神宮出場して有終の美を飾り「優勝しちゃったに」成し遂げましょう。

 

後輩へ

私は早々に野球で就職することを諦め、一般就職に本腰を入れました。今はその選択を後悔しないようにしています。しかし、腐っていたあの時期にもう少しだけ頑張れていたら、毎日あと一歩でも、あと一回でも頑張れていたら、野球人生はもう少し続いたのではないかと、どうしても感じてしまいます。「妥協の先には後悔ばかり」恩師が度々口にされる言葉です。後悔先に立たず、是非とも自身を奮い立たせ、精進してください。偉大で尊敬できる、そんな理想像のような先輩ではありませんでしたが、慕ってくれてありがとう。

 

リーグ戦で一緒に戦った投手陣へ

君たちは私よりもはるかに高いポテンシャルを持っていて、加えて高い責任感も持ち合わせている素晴らしい野球人であると思います。しかし、それが故に張り切りすぎじゃないかなと感じることがあります。あまりに自分を追い込むと野球、楽しくなくなりますよ。上記では頑張れと書きましたが、もう少しだけ肩の力を抜いても大丈夫ではないでしょうか。傲慢な奴もなかにはいますが、謙遜しすぎて卑屈にならないように気を付けて取り組んでください。期待しています。

 
 

野球人生へひとこと

「日々是好日」


「ひびこれこうじつ」、または「にちにちこれこうにち」と読みます。この言葉は禅語の一つで、毎日が良い日であり、また毎日をよくするために努めるべきである。また、日々について良し悪しを一喜一憂することが誤りであり今が大切である、といった意味で広く解釈されています。私が培ってきたこれまでの日々には、良いも悪いもたくさんありました。歓喜や達成感、失意や絶望、高校まではエースとしての自覚、大学では投手責任者としての矜恃、全ての感情、覚悟が今の私を作ってきました。そして、小学校一年生から始めた野球人生16年間の中で出会った仲間、戦友、恩師、友人、これら人との繋がり全てひっくるめて私の財産であり、それを生み出した日々はまさに好日であったと思います。野球人生の引退までもう少ししかありません。限られた日々を好ましく生きていけるよう、今後も過ごしていきます。

 

想像以上に長くなってしまいました。ここまでご愛読して下さった皆様、有難うございました。

 

 

マネージャーからひとこと

右横手から繰り出す強烈な蛇直球と曲がり過ぎに注意なスライダーを武器に堂々とした投球を見せるちゃっぺい。

この1年間、投手責任者として個性豊かな投手陣を本当によく引っ張ってくれました!

賢すぎるあまり一時はどうなることかと思いましたが、今では強力投手陣を支える大黒柱です!

明日からの京都大学戦。春の雪辱を果たすべく、圧倒的な投球を見せてくれ!!

そして最後は笑って勝利の美酒を味わおう!もう西宮北口までは送らないけどね笑

 

 


 茶谷が次回ブログ担当者を紹介!

次回の4年生ブログは... 

 

たしか同期で一番早くリーグ戦に出場し、現在も主軸を担うあの選手。強肩強打に足も速く、走攻守すべてが揃っている仕事人。通学中の電車ではゲームをしている姿しか見たことがありません。関大随一の野球好きとして私の中で有名であり、また応援で「春」が流れればつい名前を叫んでしまう部員が大量発生すること間違いなし。普段見せる優しい笑顔と時折見せる熱い報徳魂のギャップがかっこいいかもしれないあの人です。

 

次回もお楽しみに!!!