ここまで取材に行ってほとんど何の内容もない記事しか書かない新聞記者が不思議。
こういう新聞記者にとっては取材するとか現場に行くことは、「行った」「会った」といえるための儀式でしかないのだろうか。
http://www.chunichi.co.jp/article/world/worldtown/CK2007092202050806.html
【世界の街から】アーカンソー 普通のオヤジが差別2007年9月22日
米南部アーカンソー州で白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)を取材した。米メディアはKKKをほとんど話題にしない。黒人差別を正当化する彼らの主張を取り上げること自体が汚らわしく、報道する価値もないという判断だろう。
全米に残るKKK団体の中で最も非暴力的といわれる団体だったが、日本人による取材を当初、拒否した。
「あなたにも不愉快な思いをさせたくない」。言葉はやさしいが、日本人が来れば、メンバーが何をするか分からないと暗に脅しをかけてきた。
その一方で、団体代表はインタビュー後、写真を一緒に撮ろうと持ちかけてきた。黒人やアジア人らによって米国が侵略されていると嘆くオヤジが、日本人を物珍しがって写真を撮りたがる。差別主義者が「普通の人」だったことに、恐ろしさを覚えた。
(小栗康之)
一応行ってみる、ということに意味がないわけではない。
行ったことのある国や地域についてはいやでも特別な関心を持つようになる。自然に情報が入ってくるようになり知識も蓄積されていくという利点はある。
しかし、それはあくまで一般人の一般教養レベルの話であって、ジャーナリストならもっと特別の職業的な技法があっていいはず。