伏すは身体でありたいが目も当てられぬ節の我儘 | 愚奏譜

愚奏譜

ワタシ、かなでの備忘録みたいなもの。
割と内向き・オタクなハナシが多くなりそうです。

2012年8月からだから、ココも満7年以上になります。
ホントはアニバーサリーな日に書けば良いんだけど、思い出すのはいつも9月だから、むしろ今日がいい。
書いた数もコレで1170件かしらね。

気が付けば、今住んでいる場所で書いた数の方が圧倒的に多い。
月並だけど「光陰矢のごとし」とか「歳月不待」とかの心境。

たまに昔のを無作為に読んだりするし、妙な記事が人気になったら読んだりします。
折角、こういう場を得たというのに、かつてほどは病が重くなってないのでは?という自己診断が大いに間違っていて欲しいと思う。
つまりは「クソガキのヘリクツ」
時を重ねれば、その分だけ重くなる羞恥。
でも、ココだからそれは逆流になり愉悦になる。

最近は、自分を気楽に偽るカンジで書く、こういうのが減ったのは、フィジカルの悪化。とでも思わないと、劣情がもたげない理由が悲しい。

無駄に過酷を味わい、その結果発生した無駄な連休で自宅謹慎並みにゴロゴロぐったりしてみれば、自分で思っていた以上に頭がクリアになった。
ホントはもっと飲食も削ってヨレヨレになりたかったんだけど、流石にその願望は仕事に支障がでるから諦める。
スッキリした頭で、いろいろ寄り道できない体力。「疲労」「逃避」ではなく。
自分の純度が上がる気がする。
その「錯覚」してる部分も純度だと認める。

腕の傷がなかなか癒えないのは、それこそ歳のせい。
傷を負う集中力散漫も歳のせい。
という言い訳は、将来的な事故死を肯定してしまう。
でも、ズル賢さもそれなりに身に付いた。ポイントは人間不信。
信じないというスタートからのハンデ戦ならば、勝率も上がる。
悲しいヘリクツを書けちゃうのも、やはり歳のせい。


なんか、久し振りに筆を滑らせまくった気がする。
最初の頃はもっとあった。
あとタイトルも、ワタシには想起連想できる当時の事を混ぜてあるので、それを眺めているのも自己満足にできる。