敗戦後まもない昭和21年(1945)9月、小石川小学校で開かれた大審院法廷は、検察側の上告を退け、王仁三郎らの無罪は確定した。
しかし、すでに王仁三郎を裁く国家機構自体が、解体の危機にさらされていたから、これはまったく形式的な儀式にすぎなかった。
こうして、王仁三郎を中心に、戦後の大本は華麗な再発足をするかに思われた。彼はすでに獄中にいるときから、
「これは悪魔と悪魔の戦争やから加胆する必要はない」
「神界に百八十一階級あるが、邪神にも百八十一階級ある。いま戦争をやっているのは邪神の、十二、三階級の者が指導者になってやっておるのだ」
と述べ、
「これでわしらは戦争に協カしようにもできんところに入れられた。このことはあとで重要な意味をもつんや」
Г東条さんはじめ、村長にいたるまで戦争の協力者である。ルーズベルトもスターリンも・・・全然責任のないのは大本だけ」
と述べている。
信者の多くは太平洋戦争で
Г立て替え」
という破局の段階は終わり、これからいよいよ「立て直し」、すなわち平和的な建設の時代に入ると考えた。また、王仁三郎もあまり予言めいたことを口走らなくなる。
もっとも、まったく予言めいたことを言わなくなったかといえば、そうではない。敗戦の日、彼は中矢田農園の自宅で、ワッとつめかけた大勢の信者に
Гワッハッハハ、マッカーサーされた」
と冗談を飛ばし、
Г次はアメリカとソ連じゃ、しかし、はじまったら半年ほどしかかからん。そのあとはしばらく平和時代が続く」
と、さっそく予言した。
これは、本格的な戦争を予言したというより、その代理戦争である朝鮮動乱を予言したもののようである。
事実、朝鮮動乱は半年とはいわないが、約1年の死闘ののち休戦交渉にはいり、すくなくとも日本に関するかぎり、しばしの平和が、続くのである。
王仁三郎もまた、昭和20年の暮れ、このような平和が、かりそめのものであることも警告している。
ちょうどその頃、吉岡温泉に逗留中の王仁三郎を訪れた新聞記者が
「火の雨(広島と長崎の原爆投下)予言、当たりましたね」
と感心すると、王仁三郎は、こう答えたというのである。
「実現せんよう努カしたが、残念ながら実現してしもた。
しかし、あれはまだ本物じゃない。
本当の火の雨はこれからじゃ」
(続く)