アメリカ建国に隠された
悪魔の秘密計画とは⁉
今や、ニューヨークを代表する
観光スポットとなっている自由の女神。
日本人でもその建造にまつわる話を知る人は多い。
だが、建造の本当の目的は、
われわれが知る事実よりさらに恐るべきものだった!
踵(かかと)で蛇を踏みつける聖母マリア。その聖母マリアを冒涜(ぼうとく)する意味で作られたのが、実は自由の女神像だったのだ。
ルシファーの巫女(みこ)が選ばれた聖木曜日
自由の女神は1886年10月25日、ニューヨーク(正しくはニュージャージー州)のリバティ島に建設されたが、その7年前の4月、聖木曜日の出来事から話を始めることにしよう。
聖木曜日とは、キリスト復活祭の3日前、イエズスの最後の晩餐を記念した被日である。
この日、フランスはパリにあるイルミナティのグランドロッジで、ひとりの女の入団式が執り行なわれた。
入団者にクロチルド・ベルソン。
イタリア貴族の家庭に生まれ、母に敬虔(けいけん)なカトリック信者だが、父はフリーメーソンだった。
当然のことながら、両親の仲はうすくいかず、クロチルドが3歳のときに離婚。彼女は寄宿学校に預けられたが、成長するにつれ、17歳で数か国語をマスタ一するほど頭脳明晰で、妖精のような美貌の持ち主となった。
ここまでは、どこにでもありそうな話である。
だが、クロチルドは他の子女と違うのは、
彼女が魔王ルシファーの巫女、「夜の妖精」として特別に選ばれた女性だったということだった。
そこにいたる経過は不明だが、母親がクロチルドを宿したとき、まだ胎児だった彼女をメーソンの父親が魔王への生け贄として捧げたか、あるいはクロチルドがもともとそういう星の下に生まれたのが原因かもしれない。
兎も角、彼女がイルミナティの様々なイニシエーションを経験することによって、ルシファーの純粋な「神託」を受ける役割を担うようルなったのは事実だ。
そして、最高幹部に昇りつめた暁(あかつき)には「ルシファーの花嫁」になることが約束されていた。
それはルシファーの巫女であり、
女預言者になることでもあった。
実は、クロチルドは最初の候補者ではなかった。彼女の前にもふたりの候補者がいたが、彼女たちは途中で挫折したことで、惨殺されてしまったのである。
(続く)