良縁を結ぶ「八百屋お七地蔵」(2) | ふしぎのメダイ

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 成立したお七

 Г寺小姓だった吉三は、お七の処刑後に出家し、名を西運と改め、かつて大圓寺の隣りにあった明王院に入ります。そしてお七の菩提を弔(とむら)うため「隔夜日参一万日」という念仏行を始めました」

 と話すのは、大圓寺住職の福田豊衍さん。明王院は明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のために大圓寺に統合されるかたちで廃寺となり、今日に至っている。Г隔夜日参一万日」は、目黒不動尊と浅草観音を、念仏を唱えながら1万回往復するもので、1日に歩く距離は10官(約40Km)にもなるというから難行といえる。これを西運は27年5ケ月で満願させた。このとき

 正徳2年(1712年)、齢(よわい)50になろうとしていた。

 「その際、お七が地蔵の姿に変化(へんげ)して夢枕に立ち、成仏したことを告げたといいます。そこで西運上人が造ったのがお七の地蔵です」(福田さん)

    (続く)