明治の闇に挑戦した
異端の哲学者
明治は文明開花の時代である。
が、同時に百鬼が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)した時代でもあった。
こうした魔怪、仮怪、偽怪、誤怪を撲滅しなければ、開花は水泡に帰す。
西洋合理主義哲学を学びとった井上円了(いのうええんりょう)はそう叫んだ!
だが、円了の真摯(しんし)な研究は、思わぬ結果を・・・・。
明治の大衆に「妖怪博士」と親しまれた人物の本志とは、何だったのか?
御船千鶴子の疑惑の透覚実験
明治43年(1910年)9月14日手後2時、東京府麹町中六番町、書店「博文館」の主、大橋新太郎邸に、好奇心旺盛な多数の新聞記者が詰めかけた
熊本から上京した透覚=透視能力者・御船千鶴子が公開実験を行なうからである。千鶴子(25歳)。陸軍中尉河地可兼と離別して3年、その「透視」能力は、確かなものになったとの噂である。千鶴子を護るように、福永友吉(東京帝国大学助教授)、実父の漢方医、御船秀益、催眠術をほどこし、千鶴子の能力をさらなるものにしたといわれる義兄、清原猛雄、福来に千鶴子を紹介した井芹経平熊本済々中学校長と京都帝国大学精神病理学教授今村新吉博士の5名が付き添っている。
千鶴子の「透視」能力を信じる者たちである。
そんな彼らを、18の疑惑の眼(まなこ)が迎えた東京帝国大学の9名の博士である。
(続く)