「宮下文書」に記された
幻の古代王朝
🗻富士山こそが天孫降臨の聖地であり、その山麓には日本最初の帝都が築かれた。そして初代天皇とされる神武天皇以前、その帝都と王朝は数千年もの長きにわたって繁栄したが 、以後は勢力も衰え、ついには富士山の大🌋噴火によって、すべてが跡形もなく地中に埋没してしまった。
こんな驚きを記した謎の古文書がある。その名も「富士山文献」
それを伝えてきた富士吉田の旧家
「宮下家」の名から「宮下文書」とも呼ばれている。
宮下家は、富士山麗にあったという日本最古の神社、阿祖山大神宮(富士太神宮)の大宮司を代々務めてきた家柄だ。その宮下家の蔵に厳重に秘蔵されていたのが「宮下文書」なのだ。
初期の記録は、日本の古代文字(神代文字)で書かれていた。
だが、紀元前218年、秦の徐福が男女数百人を伴い、日本に上陸。
阿祖山大神宮のある富士山北麗の地に居住した。
そして、大神宮の神主家36家に伝わる神代文字によって記された古文書を、漢字に翻訳して書き写し、徐福の代々の子孫がその後も記しつづけたのが「宮下文書」というわけである。
それでは「宮下文書」が伝える日本の神代史を通観しながら「幻の帝都」の変遷をたどってみることにしよう。
その始まりは、古代中国の伝説の皇帝「神農」に由来する。
なんとこの神農が眷属700人を従えて日本に渡来。日本を気に入り、富士山の北麓を高天原(たかまがはら)と呼んで定住し、築いた都を
「家基津(かきつ)」と命名したのだ。 新農の眷属たちは、大陸の最先端文明を担う技術者や学者の集団だった。こうしてもともと富士山周辺に住んでいた人々は彼らから最新の技術や知識を学び、王朝は大いに栄えたという。
だが、こうして始まったウガヤフキアエズ朝の51代目である神武天皇は、富士山を離れ、大和へ移った。
このとき、大和では近畿の豪族ナガスネヒコが日本列島に進出を狙う朝鮮半島戦力と結託し、反乱を起こしていた。そこで神武天皇は、父とともに戦に向かったのだ。
記紀(古事記と日本書紀の総称)にいう「神武東征」とはこの遠征のことだと「宮下文書」は記している。
神武天皇が山和へ都を移したあと、家基津は「天都」と呼ばれるようになり、歴史の表舞台から姿を消した。
歴代天皇は皇位継承時に必ず天都を訪れ、即位式を行なったという。
しかし、延暦19年(800年)、続く貞観6年(864年)に連続して富士山が大噴火かし、かくも長きにわたって繁栄を誇った天都も火山灰と砂塵の下に埋没してしまうのだ。
(続く)