創建は806~810年といわれ、
当初は「弁財天社」と
称されていました。
1871年(明治4年)に
広島の厳島神社から
三柱の水神を勧請して
「別府厳島神社」に
改称したとのこと。
三柱の水神とは宗像三女神の
ことであり、
末っ子の市杵島姫命が
弁財天と呼ばれています。
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別府念仏踊 由緒
昔、この地を別府の庄、堅田の里と言って森林地帯で地名を長林と呼んでいた。この地に一人の長者がいて日夜里人の幸福を祈り、里人から深く尊敬されていた。ある夜、夢枕に白髪の老翁が現われ二枚の鎌を授けていった。
早速里人を集めこの鎌で長林を切り払った。しかし、この土地を開墾し田畑を作るには水が足らない。長者は村人等と苦心したが水を得ることができず、神祠を水を授けられるように祈請した。その夜白髪の老翁は青竹の杖を持って長者の夢枕にたたれた。「慈悲深い長者よ、あとに続いて来い」と言って歩き出された。長者は後に続きしばらくして老樹の繁るこの地に来た。老翁は青竹の杖を地中深く差立て「あとでこの青竹を抜け」と言って林の中に消えていった。
長者は老翁の言葉のとおり、青竹を引き抜くと杖の元から清水がこんこんと湧き始めた。この水で里人等は田畑を耕作することができ始めた。その湧き水の水口を池としてその傍らに諏訪の神を祀り、安藝の宮島より御祭神(田疑姫命・市杵嶋姬命·多藝津姫命)をし、社を建立、水の守護神としました。これが嚴島神社で、以来千百余年になります。
この池は常に鏡のように澄み、いかなる早抜にも水が切れることなく、どんな大雨にも増水することなく、常に濁りを知らない清水を保っています。
例祭(九月初旬)には神与の水に感謝し、郷中三軒になるまで止めないと、念仏踊りの奉納を続けてきました。
この「別府念仏踊」は昭和四十三年四月五日に無形文化財として山口県の指定を受け今日に至っております。
平成八年三月
一の鳥居
二の鳥居
御神木の大杉
大杉の空洞に弁財天さん
こちらにも弁財天さん
その奥に水取り場があります。
弁天池の水は
驚くほど澄んでいて、
池の底まではっきり見えます。
池の底の砂の中から
ぷくぷくと
水が湧き出てる様子も
見ることができます。
とても
きれいに見えるので、
つい浅い池のように
感じてしまうほどですが、
実は、水深が深いところで
約4メートルもあるそうです。
それを知ったときは
驚きました![]()
水深4m![]()
それを知ると
改めて、
その美しさに感動し
魅了されます。
駐車場の近くにも
水取り場があり、
日本名水100選に
選ばれたこのお水を、
たくさんの人が
次々と
持ち帰っていました。
わたしもお水を
いただきました![]()















