(前回のつづきです)
私は、人に石を投げることはできないって、
ずっと言ってきました。
罪の無い者が、石を投げよと言ってきました。
グローバリズムが悪くて、反グローバリズムが正しいと、
断じることもできず、
それは差別だと思って、
差別はできないと言って、
善も悪もそもそも無いと言って・・・
それで全部自分が引っ被りますか???
私が被るのはすべてのエゴでした。
自分の内側も、自分の外側も。
エゴはすべてつながっているのだから。
そして、そのエゴを映し出す、というだけです、
私の前の、あらゆる出来事において。
そして、そのエゴに寄り添い、
そのエゴを実感し、
溶かしていくのですね。
消し去っていくのですね。
エゴを掬い取り、ベールを剥がし、
両手で温め、ピンセットでつまむように、
そうっとつまんで、取り出し、
そしてそこから、相手と一緒に、
抜け出ていくのでしたね。
自分の中と、自分に見えた出来事、世間、
人の心の中のエゴから。
その原動力は、「軽い」こと、です。
その軽さで、重いものに、すべて軽い思いを注ぐ。
そしてその、軽さの愛のエネルギーで、
重いものを揺さぶり、溶かしていく、
と言ったらいいのでしょうか?
私にはそれしかできませんが、
それで私にも、相手にも、
十分なのではないかと思います。
エゴから抜け出し、愛に至る、神に至るというのには。
なぜなら自分も相手も元々同じエゴであり、
そしてそこを抜け出すことのできる、愛の本体、
つまり神だったからですね。
そのために私は、
私の中から溢れ出ようとしている軽さで、
相手に寄り添い、
世界に寄り添っていくのですね。
最後の最後に至るまで。
そしてエゴを溶かし、エゴから共に抜け出る、
そのようにするのですね。
・・・・・・
ここで私は、先生が仰った、
いまこの世に生まれ変わったというイエス、
エゴの嫌〜な人として生まれ育ち、
そのどん底から起き上がり、
エゴをよく理解したであろうイエス、
そして、今目覚め始めている、
元々、エゴの人々の中にあって、
最後の一人にまで踏み止まるという、イエスに、
ついていくことができないかと思います。
エゴをどこまでも引き受け、そのエゴをよく理解し、
己の軽さによって、自他のエゴを溶かし、
そのエゴから、共に抜け出して行く。
私が感じた暗いもの、
闇、粘着、執着、吸い取り、
しがみつき、ネバネバ、無視、だんまり、
頑迷、拘泥、陰険、悪質、悪辣、
高慢、傲慢、怠慢、散漫、自慢、
承認欲求、自己否定、
投げ遣り、自堕落、居直り、居座り、
根暗、ケチ!
数え上げたら切りがない、エゴから湧いたそれらの重いもの
世の中を見、心の中を見て、あたり一面に感じた重いもの。
それらをすべて受け止めて、向き合って、そして軽くしていく。
「軽い」というその実感、それだけを手がかりにして、です。
(かなり大変なことです)
でも、自分の中で感じたあらゆるエゴが、
愛へと至らない限り、
私は、満たされるということはないでしょう。
エゴが絶たれて、愛が実現し、軽くなることに、
喜びを見出す。
そこに光を見、真実を知って満足する。
これが、究極、いまの地球を、世界を、
新たにしていくことに、なるのではないかと、
思うのです。
それが地球次元での、エゴから愛への、
大変容、大変化になるのではないかと思います。
それはエゴが愛に変わる、発生源の経験です。
そして重いものが、次々と軽くなっていくのです。
これって、「次元上昇」ではないでしょうか?
新たな次元へと、まさに軽くなっていくことですね!
私は自分が軽いと感じるとき、
いつも悩み苦しみから解放されている、
エゴから解放されている、
それを経験しています!
だからそれを人にも分けてあげたい、
分かち合いたいという気持ちになります!
だから私は、人に対して心を尽くし、
人のためにワクワクと働き、
それを最後の最後まで貫いていくことに、
喜びを見出します!
だから私は、
悩んでいる人や、エゴの虜になっている人を見ると、
そうじゃないんだよと感じて、
その人に寄り添おうとすることを、
心の底から始めます!
先生が、生まれ変わりのイエスは、
「エゴの人」として生まれ変わったと仰ったことも、
いまの私には、わかる気がします。
最も眠り込んだ人として、生まれ変わり、
目覚め始める人の、最後の一人となる。
だって、そうしなければ、
この世から、エゴを、その根っこから理解して、
映し出して、温めて、
それに寄り添って、溶かして、
それを取り除いていくことには、ならないから。
ただ単に、分かった者の目で、愛を語っても、
しつこく粘っこい、エゴの暗黒の底までは
届かないだろうから。
だから私は、この世に生きる限りで、
生まれ変わったイエスに、
エゴを味わい尽くして、そのどん底から愛を始める、
最後の人イエスに、
従っていく弟子でいたいと、思います。
(カッコいいかな?
そういうエゴっぽい自惚れはアウトですよね〜)
それにしても、私はすでに、今となってみれば、
エゴの研究をしていた先生の、
不肖の弟子?になっていましたね。
(エゴっぽい私が)
だから、私はいま、ただ、エゴが愛に生まれ変わる所に、
いつも居合わせて、
愛が生み出されることを、私が感じている軽さによって、
実践していくのみです。
(それが実現できるということが、
私の力ではなく、「宇宙の自動」でした!)
それが先生の思い、
金庫番である先生が、私に託された思い、
だったと思います。
この金庫の宝を、受け取らない訳にはいきません。
そして、これってラクなことでは決してありません。
世界と日本にひっきりなしに起こる、
闇の状態を見てみればわかります。
このあらゆる所でエゴが暗躍しています。
そこに向き合い、そこに寄り添って、
そこから目覚めて行くということですから。・・・
でも、「軽い」ということが、金庫のカギなのです。
はからずも、コロナが先生と私を結びつけ、
宇宙の闇と、そこからの目覚めの実現という「宇宙の自動」に
気づかせてくれたということだったのですよね。
金庫の中身とはこれでしたよね。
(そして、次はエボラだと、まだ続くのでしたね)
(そこでの、「宇宙の自動」の目覚めが、
渦中の私たちには、問われているのですよね)
私は先生の弟子なのですが、改めて、
先生が仰った、
エゴ塗れの、
そう思っています。
(誰もが自分の中身はエゴ塗れなのですから、
誰もがそうすることができるのだと、私は思います)
だったら、まず自分の目の中の梁(はり)を取り除き、
自分の中の罪(=エゴ)を取り除いてから、
その同じ道を、この世界の中で、私は歩んでいきたい。
人に石を投げるのではなく、
このエゴだらけの世の中で、
自分に映った、自分と人のエゴそのものを、
どこまでも払っていきたいです。
そして、どこまでも、「軽さ」へと進んでいきたいです。
だって、「軽い」って、すばらしいことですから。
この重い世にあって、自由の次元へと至る、
「愛そのもの」の働きだと思いますから。
(透明な地球へ)
