ジャン・ポール・ラクロワ著 椎名其一訳
もうこれだけで、旨い酒が飲めそうだ。
新年一発目だから、酒のお供にこの本を。
いかに出世をするか。これは勤め人最大の関心であり、マキャベリが、カーネギーが、そして千田琢哉が書いてきたことだ。出世の手段は権謀術数術あり読書ありの大変な難事である。
まぁ、しかし、そんなに肩肘張らずとも、もっと楽に生きてもいいではないか。仕事で自己実現なんて到底できそうもないし、とりあえず暮らせるだけのお金はもらってるからとりたてて今を否定する必要もない。出世していろいろ面倒になるよりも、適当に仕事しながら、たまにはスーツ姿で市ヶ谷の釣り堀にサボリに行ったりする。そんなんでいいではないか。
そんな考え方もありだから、今回は『出世をしない秘訣』なのだ。
サブタイトルにもある「でくのぼう」といえば、宮沢賢治を思い出すが、なかなか人間はデクノボーであり続けることは難しい。出世という「罠」は私たちの周りで大口開けて潜んでいるからだ。
では、いざ出世をするとどうなるのか。
「一たんそうなってからは、
金は無くとも閑と友情にめぐまれつつ幸福を小川の鮒のように釣り上げていた楽しかりし日を偲んでも、もはや追っつかない。こうしたご仁は、金を儲けたり命
令を発したりする機械になりはて、ハートのところには小切手帳を持ち、うちつづく社用パーティで肝臓はふくれあがり、受話器のために耳は変形し、夜もおち
おち眠れぬ惨めなロボットとなってしまう」のだ。
確かにこうなってしまっては大変だ。
私たちは万全を期して「出世避け」をせねばならない。準備万端、意気揚々、手回しよく支度し、逃支度を整えなければ。常に戦備を怠らず、自身の国防の充実をはかることが肝要である。
そのためにラクロワはどんな提案をするか。
「かの「立志伝中の人物」なるものの経歴を研究し、彼らを成功にかりたてた生き方を会得し、そしてまさにその正反対をこそ為す」という方法だ。
これを大人になってから始めたのでは、もう遅い。おそらく私は、まんまと罠にはまってしまう。そうならぬようにするには、子供のうちから勉強しておくことが大事だ。
ラクロワは、5歳児に向かって、こうアドバイスを送る。
「決してよい点数をとるな!」と!……綴りはわざと間違えよ。計算は正しい答えから1を引くか足すかせよ。通信簿が悪くて家庭で叱られようとも、耐え抜くべきだ。先生や両親が「あなたを放って置いて、落伍者たるの天職を平穏の裡に全うさせてくれる」まで。
安心した。私はこんな不出来な子供だったからだ。私が受けてきた教育は、ある意味では正解だったようだ。
そもそも、なぜ成功してはいけないのか。
その答えは最後に記されている。
すなわち「(なぜ成功しちゃいけないんだ」という声に対して)それは、個人としての諸君の天職を全うするためにであることに、きまっているじゃないか」と。
成功とは、自分自身の裡にあるのであり、マスコミ、作家、実業家などなど社会の裡にはないのである。
ところで本書の翻訳者、椎名其二は大正期にフランスでアナーキズムの洗礼を受け、帰国後はかの大杉栄後を継いでファーブル『昆虫記』を訳した人。アナーキズムの洗礼→大杉栄の跡を継ぐという流れは、恥ずかしいほど出来すぎているが、楽しいからいいじゃないの。
フランス流のジョークには、一片の真実が含まれているから、このように皮肉の効いた仕上がりになるのだ。
どうやら私もこのままいくと出世してしまいそうなので、もう今からでは手遅れかもしれないが、出世しないようにしっかり勉強したい。
出世するには勉強せねば。
出世しないようにするにはもっと勉強せねば。
出世しない努力があってもいい。