比叡山延暦寺で

 

性暴力に遭った尼僧が

 

救いを求めたのは法律事務所。

 

宗教が生まれ、

 

僧侶が育ち、

 

寺院が建立されてから

 

人々が救いを求める場となっていましたが、

 

そもそも宗教は

 

無差別に民を救うものでは無かったということかもしれませんね。

 

ユダヤ教やキリスト教やイスラム教は

 

人類と人類を創った宇宙人の歴史の記録書ですし、

 

仏教は個々人が悟りを開くための手引書と考えると、

 

僧侶は語りべであったり指導者であるだけで

 

特別格の高い者と言うわけでは無いし、

 

寺院も人が集う場所でしかないと考えると

 

闇雲に崇め奉るなど妄信することもありません。

 

お釈迦様は入滅する間際に

 

「自分を救うのは自分」

 

と弟子に説いたそうです。

 

何かに頼ったり縋ったりして

 

他人に自分の人生を任せたり預ければ幸せになれる

 

などという考え自体が

 

地獄行きなのかもしれませんね。