最近、自分の演奏について音量が小さいな…と思うことがありますにっこり

これは、クラシックギターはもちろんですが、オーボエ・オカリナ、トークでも…です。

 

音量は音楽をする上で、大切な要素のひとつかと思われます。

 

小さな音は、それはそれで大変なテクニックを要するのですが、「大は小を兼ねる」というか、大きいものはテクニックで小さく出来ますが、根本的に大きな音が鳴らない人は、やはり説得力に欠けるのではないかと思います。 

 

ちなみに、自信の無い時や、都合の悪い時に話す小さな声や揶揄する「蚊の鳴くような声」という言葉もありますね。

 

声が大きくて、ゴリゴリ迫ってくる来るタイプの人は、正直苦手なタイプですが、声の大きな人には威圧感もありますが、逆に自信があるように思え、説得力があるように感じます。

 

でも、中には「天才学者さん」や「音を発しない静かな世界の達人」で、本当に小さな声でも雰囲気や趣、味のある人もいます。 

 

音楽家でも、演奏は超・情熱的でスゴイ迫力ですが、舞台を降りると話声は小さく無口で内向的という方もおられます。

 

まぁ、それはその人達の超人的な才能があっての評価であり、一般的に考えるとやはり弁論大会、選挙にしろ、就職面接にしろ、声の大きさは説得力のひとつかと思います。

…ですので、やはり、音楽については、音量はとても大切な要素であると思います。

 

私はよく『突き抜けた演奏』という表現を使いますが、上手い人の演奏はとにかく突き抜けています。 モゴモゴ、ボソボソとはしていません。(裏を返せば、間違いも堂々とすれば、こういうものなのかな…と聴こえるかも知れません…^_^;)

 

しかし、汚い音で音量だけ大きくても仕方ないのかな…とも思います。

たとえ小さな音量ても、研ぎ澄まされた美音というのは、やはり大きな魅力ですので、その美しさを保ちつつ、音量のキャパシティも広げていけると良いなと思います。


前述の『突き抜けている人』は、『フォルティッシモ』も突き抜けていますが、逆に『ピアニッシモ』も突き抜けています音譜

 

また、音量は「絶対的音量」だけでなく、「相対的」な要素もありますし、弾き方や吹奏感で息がスムーズに抜けているかどうかなども影響あるかと思います。

 

あくまで力技や根性論ではなく、『自らの体(頭や口腔内)』や『楽器ボディ全体(限られた管内)』に加え、『演奏場所(ホールなど)』を効率よく振動させて、響かせているかどうか、またその効率を最大限まで活かせているか…といった事を考える必要があるかと思います。(特に私の演奏する楽器たちは、そもそも大きな音量が出る楽器ではない方ですので…。)

 

よく言われる事ですが、自宅など狭い場所ばかりで練習していると、演奏もコジンマリとしてしまいます。 やはり大きなホールでの演奏に耐えうるように、定期的に広い場所での演奏を経験する事も大切かと思います。

 

「ワシは、いつも部屋でしか弾かん(吹かん)けえ、別にイイヨ…。」という方には、余計なお世話かも知れませんが、それでも、その部屋で効率よく、心地よい音量で豊かに響かせる為には、色々と考える必要があるかと思われます。

 

…と、ここまで書いて、つまりは自分自身に言い聞かせている訳ですが、私自身が自宅ばかりで練習しているので、たまに広い会場に出ると感覚が変わるので、そう感じているというお話でしたニコニコ

 

最後に、つい今しがた、大きく豊かな音で、且つ美しく弾いてみようと頑張ってみた『ソルのエチュード(Op.35-18)』の演奏を、宜しければお聴き下さい音譜

ミスだらけだけど…昇天

ソルのエチュードはシンプルだけど、とても美しいです♪ …でもメロディ・内声・ベースラインと考えながら、美しく繋げようと考えると、とても難しいですね…^_^;

 

オーボエが忙しくて、長らくギターはサボり気味でしたが、落ち着いたエチュードでまた感覚を取り戻していきたいなと思います音符

 

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