皆様、こんにちは!
うーん、前にも似たようなことを書いたのですが。。。
つい先日もあったんですよねぇ
「どうして感じたままに僕を認めてくれないんですか」
って。
感じたままに言ったらきっと君は再起不能のダメージを受けるよ
それを避けるためにあーだこーだ言い逃れをして理屈っぽく語ってしまった私が悪かったのか…
語彙の数は情緒に比例する、ということを読んだ事があります。
情緒とは、
・ことに触れて呼び起こされるさまざまな感情や味わい・雰囲気
・一時的に発生し消滅する、激しい感情の動き・高まり
のこと。
つまり感情を喚起させるもの。
確かに「あの」場所ならば
「わからない」
としか言いようがないですが、それ以外ならお大師様が
「六塵悉く文字なり」
と言っておられるように言葉に置き換えることが可能です。
六塵とは
「色、声、香、味、触、法」
色とは色だけでなく形も表します。
法とは心の動き方、働き方のパターンと考えています。
つまり我々が知覚出来るものは全て言葉にできる。
それを人に伝えようとすれば、人と議論するならばなおさら相互理解のために目つき、表情、所作、動作に加えて言葉を積むことは大切かと。
よくスピ関係の人で同じように
「感じるだけでいい」
みたいな耳障りのいい言葉を耳にしますが、本当にそうでしょうか?
その「感じたもの」を長〜い文章で書いておられる方も多いですが、その文章って自分の知識から引っ張り出してきたものでしょう?
ならやっぱり自分なりに考察してそれを表現するだけの用語や言葉=知識は必要なわけで。
全然感じるだけでよくねーじゃん
まぁその考察のための知識、資料が大事なのは言うまでもありませんが
正しい知識というとこれまた難しい問題で。
確かにネットでも極一部にその「断片」というか片鱗は僅かながら転がってますが、本当に極僅かな断片です。
それをいくら繋ぎ合わせても必ず雑味が混じるのでそこに引っ張られるとアウトです。
何故ならその雑味にはあなたのエゴが絡むから。
ならばどうすればいいの
ってなっちゃいますよね、多分
こればっかりは縁としか言い様がないんです。
その縁を引き寄せるために正しい生き方をしているかどうかがキモになってきます。
スピで言われている能力が欲しいのならそれを求めないように、与えられている分で感謝することから始めるのがオススメかな。
力を求めるとかえって遠ざかる風にできてるんです。
何故ならそれがエゴになるから。
大前提として他人=自分ということがあります。
これはあの場所に行けばよくわかることなのですが、そうすると他人の幸せを自分のことのように喜べるようになります。
ここがミソです。
我欲=小欲から離れて大欲を求める事、これが第一歩です。
断食明けの楽しみと言えばコレ!
余ったメイプルシロップで食べるホットケーキ
バターじゃなくてギーというのがミソ
ありがとうございました!