両親が要介護の認定を受けて、10年になろうとしている
きっかけは、母が腸閉塞で倒れ人工肛門を造設し、3か月の入院を余儀なくされてからのことになる
父は母の入院時に日中ずっと独りぼっちで過ごしていたからか、徐々に痴ほうが進み、母が退院して来てから、坂道を転げ落ちるように様子が変わっていった
市の高齢福祉部署から来た介護認定の職員から、認知機能がかなり低下してきていると指摘され、デイサービスなども利用しながら生活の質を落とさないように気を配ってきたつもりだった
しかし4年前、父は心筋梗塞で緊急搬送され、入院治療後そのまま介護老人保健施設(老健)に入所し、比較的安定した健康状態を維持しているが、もう自宅へ帰って来ることはできないだろう
母も骨粗しょう症が悪化し、何度も骨折による入退院を繰り返しているので、自力での生活は厳しく、要介護認定を受けている
今後は父と同じ老健に入所させなくてはならないと思っている
まだ元気だったころの母は骨が丈夫になるようにと、日当たりの良い玄関で日光浴をしていた
そんな姿がとても懐かしい(写真をGPT様にイラストにしてもらうとこんな感じ)
高校を出てからあまり両親とは行動をともにしてこなかったが、二人とも私の大学入学と卒業時に帯広を訪れたことを懐かしく話すことが多かった
両親からすれば、東北の田舎からもっと田舎に息子が行ってしまうと心配をしていたはず
でも、私が高校まで生活していた街よりも帯広の方がずっと都会?だと思う
卒業後、地元に帰って職に就き、何度か旅行に連れて行ったことがあったが、それほど多くはない
とある旅館で朝食時に一緒に撮った写真をジブリ風にイラストにしてもらった
イラストはあまりにもジブリ風すぎるし、朝から鍋?だが、こんな感じの写真を旅館の仲居さんに撮ってもらった
父だけ少しばかり年を取り過ぎだが、まあ良しとする
でもとても懐かしい
こうして少ないながらもほのぼのとした両親との思い出を振り返ると、介護施設に入所させていることにどうしても罪悪感を抱いてしまう
こうした感情に揺れ動くことは、みんなが経験するのだろうか?
施設に入所している父に面会し、部屋を出る時には、悲しそうな表情の父を見ることができず、歯を食いしばるしかない
認知機能が低下しているので、負の感情を持っているかどうかはわからないが、でも私をまだ認識している
時に感傷的になり、自宅に連れて帰ろうかと思ったこともあるが、自宅外泊をさせて、素人が面倒を看ることができるのは一泊が限界
旅館でのイラストのようなほのぼのした時間は存在しない
悲しくなるほど優しさを失ってしまう自分に失望する
父は「帯広から帰る時に、駅の二階の寿司屋さんで食べた鮨が美味しかったなぁ」とよく言っていた
今でも忘れられない昭和58年の春の思い出、記憶の中の父と母はまだ若く、介護など意識することもなかっただろう
両親は「アラ卒」、90歳の卒寿を越えたか越えようとしている
人生とは儚く、美しくも残酷だなと思う
八神純子さんの「思い出は美しすぎて」ですね(古)

