ちょこちょこと身の回りを整理しておこうと「断捨離」を始めて約半年が過ぎた

 

もう着ないだろうと思うような袖口の擦り切れたスウェットのトレーナーであったり、まだ若いつもりでいるの?と女房に笑われるような若々しいポロシャツなどを処分した

 

本人としては清水の舞台から飛び降りるような気持ちで捨てているのに、外野の家族はニヤニヤして眺めている

 

そんな廃棄作業とは別に、しんみりとしてしまうような思い出の品が突然数十年の眠りから覚めて、何かを訴えるように手元に現れることがある

 

キーフォルダー

 

殆どが観光地へ行った記念に買ったものだが、その小さな金属のプレートを見つめて黙り込んでしまうような想い出を纏ったものもある

 

写真上のキーフォルダーは、国鉄 士幌線 が廃線になったお別れ記念に発売されたもので、当時の彼女から「私が小さい頃から今までお世話になった鉄道なの」という感じで、その廃線を惜しむ気持ちとともに渡された

 

国鉄 士幌線は、帯広から、中士幌、士幌などを経由し、十勝三股までの区間、大正14年12月10日から昭和62年3月22日まで、人々の足となって、十勝地方の発展に寄与してきた鉄道である

 

廃線はちょうど自分が大学を卒業して帯広を離れる昭和62年の春のことだったので、彼女と最後に一緒に乗ろうと約束したのに、乗ることは叶わなかった、そう記憶している

 

写真下のキーフォルダーは、彼女と然別湖へドライブに出かけた時に、湖畔のどこかお土産店で買ったものだ

ちょうど湖面にくちびる山(天望山)が映っていたのが嬉しくて、二人で記念に買ったことを思い出す

 

この二つのキーフォルダーを見つめていると、おぼろげながらその時の会話とその温度感が蘇ってきて、胸の奥をぎゅっとされるような苦しく切ない気持ちになる

 

こうした想い出を発掘してしまうと、全く作業が進まなくなってしまい、結局ゴチャゴチャ散らかしたものをまた箱やクローゼットに戻すことになる

 

このところ、それの繰り返し

 

「想い出」は時の流れの中で輪郭がぼやけていくものだと思っていたが、そうではなかった

純化されていくものなんだと思うのでした