筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

 

        筑豊の鉄道 筑豊本線 その6(折尾駅 今 と 昔)

 
  折尾駅と周辺の 現在 と 昔を 今回見てみます。  折尾駅 は、 初めは 鹿児島本線  経営の九州鉄道会社 と 筑豊本線 を経営の 筑豊興業鉄道会社 が ありましたが 明治28年 両社合同で現位置に 立体駅を造ったいきさつがあります。 そのため 筑豊本線 折尾駅 は 開業 明治24年8月30日  若松駅よりキロ程 10.8Km   位置は、 北緯 33度51分50秒   東経 130度42分45秒 にあります。  昔は 外見上一つの駅ですが 中に入ると 1階は、 筑豊鉄道(明治27年に社名変更)の ラシャの制服職員 と 2階は、 九州鉄道の 木綿の制服 と 別の会社で 駅長もそれぞれ違い 石炭輸送で筑豊鉄道のほうが景気が良かったから と 説明されています。 明治30年10月1日両社合併 大正5年11月5日 ルネッサンス様式の駅舎完成  昭和63年3月13日 短絡線の折尾駅開業  資料では 現在の乗客数 19071人 となっています。 
 
      折尾駅 は 九州で最初の立体駅ということもあり 現在は入口が 北口  東口  西口 おまけに 短絡線駅が130m離れた 鷹見口  ホームも 筑豊本線 1・2番ホーム  鹿児島本線が 3・4・5番ホーム  鷹見口からが 6・7番ホーム と案内板を見てもわかりにくい駅でしたが 現在立体交差のない わかりやすく 踏切のない 新しい 折尾駅 の工事中となっています。
 
  折尾駅の周辺にも いろいろの 近代の遺産 が残っています。 東口広場より 短絡線の踏切の横に 3連の煉瓦トンネル(一部ねじりマンポ) その手前広場の延長にも煉瓦基礎が あり説明板で紹介されています。 東口前、南の堀川 は 五平太舟で石炭輸送・ 近代化遺産の物語 堀川運河 が流れ 川沿いには 今も所狭しと飲食店か 並んでいます。 橋の欄干・ 橋柱には 五平太舟 と 石炭最盛期の姿 を見ることができます。 本来は 折尾駅 連絡通路の壁には 堀川を行く五平太舟  別府温泉にひたる美女  九州紹介の観光画 が書かれた 古いレンガ通路 も撤去され現在は見ることが出ません
 
  この 折尾駅 も 折尾地区総合整備事業 で すでに 鹿児島本線ホーム は 現在使用開始  西折尾地区の 筑豊本線トンネル・短絡線 トンネル工事 終わり埋め戻しも終了しています。 次回は、 折尾駅周辺の 新しく変わる 折尾駅 を 紹介します。
 
 
  大正5年当時の折尾駅駅舎(3代目)     折尾駅東口前のねじりマンポ構造物
 
 
      折尾隧道の説明板                レンガ積みねじりマンポ
 
 
    ねじりマンポ構造物説明板          石炭舟五平太の通った堀川運河 
 
        
        堀川運河の史跡説明板             堀川物語の説明板
 
 
    近代化遺産 堀川運河説明板            折尾駅東口遠景
 
 
    折尾駅周辺総合案内図          折尾駅東口 正面に筑豊本線電車
 
 
     筑豊本線の1・2番ホーム          筑豊本線折尾駅 駅名板
 
 
   鷹見口よりの筑豊本線短絡線           短絡線駅鷹見口改札口
 
   
   短絡線鷹見口の駅名板                折尾駅西口改札口  
             
 
     鹿児島本線新ホーム          鹿児島本線の折尾駅 駅名標
 
 
  整備前・後の鉄道ルート図       平成29年2月の折尾駅付近航空写真
 
 
国道3号線大膳橋よりの将来廃線区間      トンネル区間部工事終了
 
 
折尾高校通り踏切付近のトンネル口    現在の折尾高校道り踏切将来廃線部
 
 
 
次回は、筑豊の鉄道 筑豊本線 その7 (新しい 折尾駅へ) へ