筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                山野の石像群(五百羅漢) と 若八幡神社

 



 山野の石像群(五百羅漢)は、福岡県指定有形民俗文化財 として 嘉麻市山野1609番地  昭和34年(1959) 3月31日に指定されました。


文永8年(1271) に 神宮寺座主 妙道が奉納  したと伝えられるこの 石像群は、「五百羅漢」 とも呼ばれ約390体、人々の手厚い保護により保存されています。 石像は、子守り姿 や 荷物を背負う姿などいろいろな姿をし また 泣いたり・ 笑ったりと表情も豊かで、 見る人の心を和ませてくれます。 


「福岡県地理全誌」 には、この地方は昔 宇佐神領であったため豊前の五百羅漢 にならって製作されたのではないかと記載されています。 石像群の背後には「筑前国風土記」 や 「大宰管内志」 に記されている 東穴が 「伊勢」・ 西穴が 「高野」と呼ばれる 二つの穴があり 石像がおさめられている と書かれていますが 現在は、この穴は崩れ落ち原形を留めていません。 


このため現在は、展示保存庫の中に 置かれています。 これらの石像群は、 春分の日に若八幡神社に奉納される 「山野の楽」 と共に豊前地方の文化の影響が大きく うかがえます。


若八幡神社 の 略記 には、 祭神 仁徳天皇(第16代)  大葉枝皇子  小葉枝皇子 雌鳥皇女   由緒  後冷楽天皇(第70代) の 天喜元年(1053) 頃 創建され 後嵯峨天皇(第88代) の寛元2年(1244) の春 宇佐大宮司豊前国到津、 筑前国立岩別府領主 下山冠者・ 宇佐宿弥公高 が 宇佐領御神領地立岩別府館内の総鎮守として御分霊を 併せ祀る と書かれています。


(寛元2年のこの頃に、 奏楽祭  伝えられ

     昭和33年(1958) 10月   山野 の 楽 福岡県無形文化財 

     昭和51年(1976)       山野 の 楽 福岡県無形民俗文化財 

となっています。 こういう筑豊風土坊 山野の楽 正直に見たことがありません 今年こそは ぜひ見てみたいものだと 思っています。  
  

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     山野の石像群(五百羅漢)                 山野石像群説明板


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若八幡・山野の石像群地図1/25000         若八幡・山野の石像群付近航空写真


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 山野の石像群の展示室                 山野の石像群説明板

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  いろいろの表情の石像 1                いろいろの表情の石像 2

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 須賀神社(祇園神社)                    若八幡神社遠景

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 若八幡説明板                      若八幡神社拝殿

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 若八幡神社本殿                県指定無形民俗文化財の楽

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       嘉摩 山野村説明板                 薬師堂石佛石像群その2



                         位 置 情 報


    若八幡神社    北緯 33度36分43秒     東経 130度42分38秒

  山野の石像群     北緯  33度36分39秒     東経 130度42分37秒




                   次回は  八反田 の 舟入場 へ