筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 


   2014年 飯塚市民祭 飯塚山笠  菰田流れ (飯塚山笠 その8)


各流れの最後に、菰田流れ を紹介します。 菰田流れは、飯塚の繁華街・昭和道りを南東に進むと穂波川に架かる 飯塚橋 さらに川渡ると 菰田地区 に入ります。


 昭和道りの東側のJR飯塚駅やさらに東方を流れる遠賀川(嘉麻川)に囲まれた地域が菰田地区です。 町内は、JR筑豊線の東を菰田東で町名 木の花・ 大新・ 鶴三緒・ 五穀神・ 忠隈・ 元宮 そしてJR筑豊線の西の西菰田の町は 南道り・ 駅道り・ 中央道り・ 昭和道り の10町内と 近年旧穂波町の隣接の町内 も参加されているようです。


菰田地区も、もともとは 駅通り・ 昭和道り・ 中道り は 飯塚駅もあり 商店が多くありました が現在は ほとんどなくなりました。 昭和の終わり頃当時の 早朝野球の青年たちが東流れに応援参加 していましたが 平成2年に菰田地区に元気を取り戻そうと考え各町内会の応援もあり 菰田流れ の立ち上げ となりました。


本年度の 菰田流れ は山笠役員は、昨年と同様 西村 芳隆山頭  森山 辰彦旗頭  大和 一久若頭  町野 昌宏事務局長 が山笠四役で組織されています。  菰田流れは、平成2年設立時は厳しい成績の時代もありましたが 平成19年よりの成績は 4回の優勝 3回の準優勝 と 西流れ と優勝をきそう 菰田流れ となっています。


菰田流れの山笠は、平成2年の設立時は 唐獅子 が使用されていましたが 近年は 不動明王 が使用されています。 これは 不惜身命不動心 憤怒の形相で雅悪を絶つ 不動明王 は大日如来(永遠の真理そのものとしての仏)の使者とも化身 ともいわれ 怒っているのは導きがたい人々を 仏の教えを力強く導く 救済の役目を負っている この 形相を 念怒(ふんぬ)の相 といい 右眼は天を 左眼は地 をにらみ 悪を封じ 幸せをもたらす 神仏を山笠とし 今年も疾走の 菰田流れ です。  

    
  E01   E02
       西村 芳隆 山頭            守山 辰彦 旗頭

  E03   E04

      大和 一久 若頭           町野 昌宏 事務局長

  
E05 E06
     平成23年 菰田流れ全員        平成23年嚢祖宮スタート

E07  E08
                 平成23年 追い山


 E09   E10
    
平成23年檄文披露            菰田流れ追い山成績

 
E11  E12
      菰田流れ 先走り蓮          菰田流れ山笠の披露 


 E13  E14
     菰田流れの不動明王      平成23年優勝に輝く不動明王 


  菰田流れの山笠本部の位置情報

              北緯33度37分37秒   東経130度41分21秒



 次回は、飯塚市民祭 飯塚山笠 追い山コースを歩く をお送りします。