一言で「ブラジル音楽」といってもね……。 | 多弦Gutarist Tominha の部屋

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10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

唄の練習を始めて改めて思ったのは、「Berimbau」に代表される、いわゆる「ボサノバムーブメント系」とジョルジ・ベンなどからMPBに到り、今「サンバファンク」とか「バリ・ファンキ」などと言われる音楽との落差。なんちゅうか、大げさにいうと「住む世界の違い」みたいなものを、歌詞から感じる。
たとえば「Berimbau」の歌詞。これ、ジョビンとのコンビで有名なビニシウスが書いたものだけれど、彼の詞の中でも「わけのわからなさ」では一、二を争うのではないか、と僕なんかは思う。最初のひとくさりは日本語訳するとこんな感じ

善人とは  愛を決して裏切ったりはしない人
「しよう」という人ほどなにもしない。しないのだからやめもしない。
自分の中に引き籠る人は誰も愛することができないで死ぬ。
誰にもやらぬお金は何も持たないものの労働
上手いカポエイラは倒れない 上手に倒れる

これでも「口語訳」的にするため、説明的な文章を付け加えているのだが、それでも何を言いたいのかよくわからない。もちろん、なんとなくわからなくもないが、どうみてもこの詞は、あの起伏に乏しいまるで「お経」のようなメロディーにインスピレーションを受け、わざとわけのわからない「呪文」みたいに書いたのではないかと思える。「……は……ない」という形が繰り返されているのにもそんな意図が感じられるが、いずれにしろ、インテリでフランス大使館にいたこともあるビニシウスならではのひねくれた歌詞である。
 とくに二行目はくせ者で、CDなどの歌詞ではここは大抵「行くよという人ほど行きはしない。行かないのだから来ることもない」という訳になっている。これは言語の「Vai」を「行く」と解釈するのだが、この「vai」という単語にははっきりとした「行く」という意味はない。(辞書にものっていない)有名な唄の歌詞では「So danco samba」に出てくるのだが、そこでは「さあ!」という掛け声とか「踊れ!」みたいな形で訳されているのみである。だから、僕はこれを「~しよう」と訳してみた。
それが何で「行くという人」となっているのか、これはまったくの深読みかもしれないが、インド哲学=仏教の教えをつたえる例として比較的欧米でも知られている「行く人は行かず」という文章のもじりではないかと思える。
この話をしだすとまた長くなるので、それは別項ということにしするが、ともかくこの妙な「呪文」を考えるのにもインテリならではの自意識というか、うんちくがあふれてしまうのが良くも悪くもビニシウスら「ボサノバ系」の人たちの特徴。
これに対して、Jorge benなんかはほとんど対極という感じである。僕が練習している「Tim dom dom」という唄の歌詞はこうだ。

チンチ~ン、チンチン タンボリンはチンチン
ギター(ビオロン)はチンドン
そいつが俺のハートの鼓動
気にいったかい 俺のサンバはサンバしてるぜ
みんな気にいったかい 俺のジンガもサンバも

ジョルジベンの唄は大体みんなこんな感じで、サンバとサッカーと女の子のことしかでてこない。ジルベルトジルと組んだ「アフリカブラジル」という結構有名なアルバムの一曲目にはいっている「Umabaraumma」(ウマバラウーマ」という曲も、「呪文系」の歌詞だと最初は思っていたら、中味は「プレイボール、プレイボール、走れ、シュートだ、イカシタ兄さん、サッカー、サッカー」と叫んでいるだけ。題名の「ウマバラウーマ」というのは「アフリカの点取り屋(ストライカー)」のことらしい。
概していって、ポルトガル語の唄は日本でいうと「文語調」というか、ちゃんとした構文になっていなくて、単語を並べただけの非常に抽象的な歌詞のものが多い。ポルトガルの大スターグループ=マドレデウスの唄もそうだ。でも、そんな唄の構造にもかかわらず、ジョルジベンの方は大体わかる、というか唄っている世界の想像がつく。でもビニシウスあたりになるとかなりわかりづらいし、マドレデウスになってくると、相当の「深読み」を強いられる。
何も僕はだから、ボサノバはインテリ階層の文化で、ジョルジベンなんかが普通の庶民の文化だなどと決めつけるつもりはまったくない。ただ、日本では同じジャンルに属すると考えられているブラジルの代表的なアーティストが、実はそうとう異なる文化圏、たとえて言えば、「シャンソン」と「ロック」ぐらいの違いがあるのだということを、改めて思っただけなのであるが。
この前のカッピンドラードライブの時も日系ブラジル人の何人かと片言で話したけれど、彼らが好きなアーティストで僕が知っていたのはジョルジベンだけだった。カエターノベローゾとかイヴァンリンスも知ってはいたが、あんまり好きではない感じだった。ジョビンの曲は何曲かやったけれど、「それじゃなくてサンバやってくれ」といわれたことも何度かあった。
考えてみれば、「ボサノバ」が生まれ、ジョビン達が活躍していたのは今から50年以上前だ。日本の音楽界と一緒にしても仕方がないが、年代が重なって、イメージ的にもジョビンのポジションに一番近い日本人アーティストは加山雄三さんだろう。もし、僕らが外国に行って、そこのバンドが「日本人向け」に「加山雄三」の曲を演奏したらどう思うだろうか。確かに悪い気はしない。しないけれども、「加山雄三を知っているくらいなら、もっとこんなのやってくれよ」といいたくもなるだろう。また、若い人なら、「これだれの曲」ということにもなるだろう。そんなことにも想いを馳せると、非常に面白い今日この頃です。