署名しました。クラブへの風営法による規制、そしてこの条例のような動き、非常に危機感を感じています。
音楽をやっている人間はまさかと思うかもしれませんが、歴史的にみると音楽や踊り、それも普通の「庶民」のそれは、「文化」として尊重されるよりも「卑俗なうさばらし」として「上つ方」の居住空間から排除され、その他の場所でも抑圧されてきました。「音楽は文化ではない」「文化として取り上げるに値しない」という考え方は日本に限らず欧米にも根強く残っています。僕はこの署名への賛同コメントで「日本の暑い夏に外で唄ったり、踊ったりできないことをブラジル人、アフリカ人、そしてウチナーンチュは理解できないだろう。」という主旨のことを書きこみました。しかし、これらの国と地域ではまさに「踊りや音楽」が(一律ではないにせよ)禁止された歴史があります。ですから、こうした湘南・逗子海岸で起こっている規制はいずれ全国的に広がっていく危険が非常に大きいのです。
確かに、深夜どころか朝まで海岸で音楽を流して騒ぐのは近隣住民にとってめいわくでしょう。音楽を供給する側もそれが「文化」であるかぎり、音の大きさ、時間などを考慮するのは当たり前で、それを怠ってきたツケが回ってきたことは否めません。しかしそれは、具体的にきめ細かく対処するべきことです。「音」の問題でいえば、「盆踊り」も「お祭り」も、小学校の運動会さえ周辺住民に一部の人たちにとっては「騒音」であり、堪え難いものです。だからといって、祭りをなくし、盆踊りを禁止し、運動会の音楽とアナウンスをなくしたらどうなるのか。問題はどこにあり、どこまでが許容範囲であるか(「騒音だ」と言っている側も音を出している側も)は一律ではなく、ケースバイケースで話し合われるべきものです。ところがこうした場合、「被害者」と言われる人たちは「被害」を自覚しているので、どうしたって音をだしている側と温度差が相当違う。だからどうしても「不寛容」にかたくなになりがちです。でも、そこをなんとかこらえてもらい、せめて話し合いのテーブルについてもらえないと本当の解決にはいたらない。だからこうやって、乱暴な「一律禁止」みたいなことになる。
そういう意味でこの逗子・湘南の問題は「文化的不寛容」が惹き起こしている問題でもあると思います。「海岸で音楽を鳴らして騒ぐようなひと」とは話しあってもむだである、彼らは自分たちには理解できない存在であり、排除するしかない、というように。しかし「海岸で音楽を鳴らすような」を色々なことに置き換えるとどうなるか。ある局面ではそれは「立派な」差別であり、排除の論理になりえます。僕はそんな心理をこの条例制定に感じるのです。