唄の力 | 多弦Gutarist Tominha の部屋

多弦Gutarist Tominha の部屋

10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

ちょっとまえに撮っておいた美輪明宏さんのライブ(NHKSONGSプレミアム)を見ました。

ものすごいものを見てしまったったなあという感じ。

もうかれこれ70代も半ばなんですよね。美輪さんは。そんなことを全く感じさせないというか、年齢とか性別とか、およそ浮世の尺度からまったくちがうところでこの人の時間は回っているのではないかと思うような、美しさ、格好よさ、洒脱さ。

参りました。本当に。

「○○○の●」以来見なれるようになったあの「黄色の髪」ではなく(どうやら、あれが今の美輪さんの「普段の髪」らしいのですが(^_^;))、少し茶色がかった黒のショートヘアーがとても軽快で若々しく、色っぽい。

唄は「3分間のドラマ」といわれ、とくにシャンソンは「一幕物の劇」と称されるけれど、それに値するような「うた」を唄える人がどれほどいるのか。美輪さんはその数少ない体現者であり続けているのだと強く感じました。

しかも、単に「歌手」であるというにとどまらず、いわば日本の戦後文化史を語る上で欠かすことにできない、そんな偉大なアーティストであるにもかかわらず、その語り口、ステージングには偉ぶったり、これみよがしのところがひとつもない。実に礼儀正しく、「目の前のお客様たちに損盆に楽しんでいただく」という姿勢に貫かれている。

これが「うた」であり、これが「唄い手」というものだと思うと、その力、その世界にすばらしさに、「唄えない音楽家」である僕などは打ちのめされてしまいます。

たとえばあの名曲「枯葉」の深く美しい歌詞を美輪さんのように表現されてしまうと、ジャズミュージシャンがこの曲を取り上げる時のある種「お決まりのやり方」が、とても陳腐なものに聞こえてしまうのです。もちろんそれは音楽の全く別の面を表現するものであって、比較する方がまちがっているのだということを百も承知の上で、ですが、そう言いたくなってしまうのです。

少なくとも、「枯葉」という歌のメロディーをなぞるだけではなく、歌詞も含めた「うた」としての世界を感受したうえで演奏する、そういう姿勢がなければいけないだろうと。

名演といわれる「枯葉」、たとえばマイルスディビスの演奏にはそういう原曲へのリスペクトがやはり感じられます。

僕もできる限りそういう演奏をしたいと思います。それが「うたごころ」をもつことなのだろいうと信じて。