変なのはこっちじゃない? | 多弦Gutarist Tominha の部屋

多弦Gutarist Tominha の部屋

10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

海江田経済産業相が国会の委員会中に絶句し、そのあと涙ぐんでいる様子がテレビで放映された。
この件に関しては、なんとなくの「同情論」がマスコミでは主流なようで、表立って擁護する記事もないかわりに批難する記事もほとんどない。

でも、僕なんかは「この人変じゃない」としか思えないのである。

問題の発端が例の九州電力の玄海原発再開をめぐるジグザグであることは周知の事実。海江田さんは政府として最初にこの超老朽原発の再開を認め、地元に行ってまで運転再開に理解を求めてきた。それが「やらせメール」でいっぺんにふっとんだんだから、監督官庁の長としての責任は大きい。そのことが精神的に重荷であるということなんだろうけれど。

なにも、泣くことはないだろう、泣くことは。

はっきりいって、九電の情報操作とか、最近暴露された保安院からの「動員要請」、あるいは佐賀県知事の九電への「推進発言要請」などは全部自民党政権時代に積み重ねられてきた「原子力村」の旧知のやり口であって、そこに民主党とか海江田さんの直接の責任があるわけではない。もちろん、そういう体質を薄々知っていて見て見ぬふりをしていたとか、電力労組出身の議員がみんな原発の危険性について口を閉ざしていたという責任はあるが、あくまでもそれは間接的というか「事後従犯」的な責任であろうと思う。
従って、担当省庁の責任といっても、それは現時点での責任ということであり、福島第一の事故をふまえ、明らかになった原発の危険性を前提にどう対処すればよいのか、そこが問われているだけだと、言っていいと思う。

だから、海江田さんのやるべきことは、監督省庁の長として、情報操作の実態解明を急ぎ、それに乗せられていた自分の不明を反省し、どうやったら安全な電力供給ができるのかを考える、それだけのことだ。そのうえで辞めるやめないは個人の判断である。そこになにか深刻な、今日の新聞などの記事にあるような「尋常ではない事態」があるとは思えない。いや、「尋常でない事態」というなら、それはもう3・11以来日本中がそうなっているわけだし、日本経済は福島第一の事故によってずっと「尋常ではない状態」にあるのだから、いまここに至って「尋常ではない状況にあった」から泣いちゃったなどというのは、それこそ大臣としてあるまじき非力さではないのかな。

推測するに、官僚内部、省庁同士、民主党内部、いろんな場面での駆け引きが震災以来ずっと続いていて、たまたまそれが全部海江田さんの周りに集中してしまった結果、首相も信じられない、官僚も信じられない、党内の「同志」もあてにならない、孤立無援で自分だけで対処しなければならない状況に彼はいるんだろうな。

でも、それが今の政治の現実でしょ。それを承知で議員になり、大臣として政権にかかわっているのではないのかい。今の局面で泣きが入ってしまうというでは、いったい被災者にどういういいわけができると思っているのよ。

菅さんがちっともやめないのをマスコミは執拗に叩く。鉄面皮とか人非人扱いをしている。しかし、少なくとも彼は自分の考え、自分の提案というものを辞めろコールの大合唱の中でも提出し続けている。それは「責任を果たす」という意味では海江田さんよりまともだ。
変なのは海江田さんであり、それを認めてしまうマスコミの方だと僕は思う。