野生の教育ママちっぷです。
自称・出木杉くんの兄男(小4)
持ちギャグが豊富な妹子(小1)
おやつがプロテインな夫(単身赴任)
日々、子どもが賢くなれるネタを探しています。
タノチイク更新中
いいね!コメント、とっても嬉しいです♥️
ありがとうございます✨
いつも、たくさん
アクセスありがとうございます🥰
おかげで毎日更新頑張れます。
最近の記事です。
朝ごはんは、前日にたくさん作った野菜たっぷりスープやパンとフルーツに決めてある。
慌てることはない。
アメブロを開く。
仲良しのブロガーさんが久々に記事をアップしていて、テンションが上がる。
私は、1日に2本ブログを書くことに決めている。
生身の人間がだ。
傷だって簡単に塞がらない、
失った手足が戻ることもない、
生身のワーママがだ。
朝のブログのルーティンは至極シンプルだ。
昨夜、眠い目をこすりながら準備した
ブログのひな型に、
超おもしろい有益記事を書いていけばいい。
でも、私は毎朝頭を抱える。
ネタがないからだ。
コロナ禍に、田舎でごく普通の親子3人でつつましく暮らしている。
教育的なネタは、そうそう降って湧いてこない。ボスママにいびられようもんなら勇んで記事にするが、ママ友がいないので事件も起きない。
私だってできれば、読んでくださる方が喜んでくれる、超おもしろ有益記事を書きたいといつも思っている。
しかし、ネタがなければ文章を書けない。
文章がなければ、表現をブラッシュアップすることも、小ネタを折り込むことすらできない。
あと、残念ながら、有益な情報を私はそんなに持ってない。
自分の中の、朝の記事の投稿期限6:30が迫る。
切羽詰まって、
「家に貰い物の柿が余って困る」というネタで1本記事を書いたこともある。
反省している。
案の定「いいね!」はあまりつかなかった。
全然「いいね!」じゃないから仕方ない。
「それは困ったね!」ボタンがあればよかったのに。
今日もまた、なんとかネタを絞り出して、1本記事を仕上げる。
ブログをアップする前にまた悩む。
「タイトルは本当にこれでいいのか?」と。
私は記事をアップしたあとも、
「いいね!」の初動や動向を見てタイトルをいじることがある。
内容が整ったとしても、タイトルがキャッチーでないと見にきてもらえない。
私は毎夜、学習記録をメインにすえた記事をアップしている。
皆さんお気づきだろうが、
(たぶん誰も気づいてない)
昨秋から、学習記録記事のタイトルから【◯/◯◯(日付) 学習記録】の文字を削った。
「なんだ、ただの記録か」と、読んでくれない人もいるかもしれないからだ。
そして、その削った文字数分、他の情報をタイトルに入れられる。
私は、自分の書いた表現も記事も愛しているので、少しでもたくさんの人が読んでくれたら嬉しいなと、いつも思っている。
タイトルと言えば、
一時期アメトピ(Ameba編集部が選ぶ注目記事)のタイトルが【絶句!】で溢れたことがあった。
【絶句!幼稚園ママに言われた一言】
【義実家の昭和なルールに絶句…】
といった使い方。
なるほど、インパクトのある【絶句!】を入れればよく読まれる?と思い、さっそく私も絶句!タイトルを連発した。
アクセス数は変わらなかった。
たぶん前からフォローしてくださってる方には、「こいついっつも言葉失ってんな」と思われてたと思うと恥ずかしい。
絶句し損である。
私はそれ以来、絶句するのはやめた。
夕方になる。
多くのママが「今日の夕飯は何にしようかな…」と悩むのと同じように、
私は買い物をしながら「今日の夕飯は何にしようかな…あと夜のブログのネタは何にしようかな」と悩んでいる。
夕方~夜は、どこの家庭も戦争だ。
我が家も例外ではない。
帰宅した子どもの習い事や塾の送迎、夜のブログのネタ出し、宿題確認、夕食作り、お風呂、夕食、片付け、夜のブログのネタ出し、明日の準備、洗濯、洗濯干し、子どもと読書、あと夜のブログのネタ出し。あと夜のブログのネタ出しもある。
(忘れてたけど夜のブログの執筆もある。)
当たり前にこなす日常に、ブログが混在する。
お風呂に入りながら、
本を読みながら、
「やばい…夜のブログの投稿期限、21:00はもうすぐだ!!」
と思い出す。
夫にたずねる。
「なんかネタない?」
夫が答える。
「俺の行ってるジムのおっさんの話書く?」
教育ブログやぞ。
息子、娘にたずねる。
「なんかネタない?」
娘が答える。
「給食がおいしかった!」
柿余りと同レベル。
なんとかかんとか絞り出す。
今夜も無事、学習記録を含めた記事をアップする。
ネタがないなら、ブログなんて書かなければいいじゃないかと思う。
もはや「毎日ブログをアップする」という目標に則った、惰性と意地で続けている。
ただしその惰性は猛スピードだし、意地はダイヤモンドみたいに堅固だ。
子どもの教育記録や学習記録はおまけで、もはや、私が文章を書きたいがために、文章を書いているのである。
私は高校時代、何かものを書く仕事に就きたいと思っていた。
書き方は誰にも教わってないし、どこにも習ってないし、難しい言葉も理論も知らないけれど。
情熱があれば、たどり、就けると思っていた。
けれどいつしか、諦めてしまった。
その時に古くからの友達がかけてくれた言葉を、私は今も宝物のように大事にしている。
「あなたの書く力は消えてなくならないし、それがいつか誰かを幸せにするかもしれない」
彼女の言う通りになった。
私が文章を書くことは、他でもない私をいつも満たして幸せにしている。
いつも読んでくれてありがとう、皆さん。
私を幸せにしてくれてありがとう、サイバーエージェント社。
だから私は、今日も「ネタがない…」と言いながらアメブロを開く。
もちろん、今日の夜のネタはない。
この日の夜の記事。久々に絶句!した