いま、ここにいるワケ | memorias pasadas

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こんにちは。今日も志村は元気です。

7月7日に日本を出発し、サンタクルスでのホテル生活が始まってから早一ヶ月が経過し、本日現地語学訓練を終えました。その内容には正直不満な点もありましたが、先生達には色々なことを教えて頂き感謝です。

そしていよいよ明日12日の火曜日に任地であるポトシ県トゥピサ市に移動することになります。こんなスペイン語もままならぬ状態で一体何が出来るのか不安だらけですが、少しずつ慣れていきたいと思います。


ところで、本日の表題にもある青年海外協力隊を志した理由について書いてみたいと思います。

5年前アメリカでの卒後研修プログラムを終えて帰国した後、先輩のお誘いで都内の総合病院で働いていました。2009年からの5年間、たくさんの経験と勉強をさせて頂きました。大学院にも進学させていただき修士号を取得できましたし、講習会のアシスタントや講師、海外招聘講習会の通訳、テキストの翻訳、執筆などの仕事にも恵まれて、充実した時間でした。一緒に働いてきた上司、同僚、後輩にもたくさんの刺激をいただき、仕事以外にも素敵な時間を共有することができました。

一方で、もう一度海外でチャレンジしてみたいという思いが常に心にありました。もちろん、理学療法士という専門性を生かしてのことです。大学院への進学か、先進国での技術的な研鑽か、英語圏での就労か、青年海外協力隊か…いくつか選択肢がありました。

ではその中で青年海外協力隊を志したのはなぜだったのでしょうか。

やりたい研究テーマがなく、博士の学位をそこまで欲してはいなかったので、大学院への進学は除外しました(さらに、経済的に困難でした)。先進国での技術研鑽にも多いに興味はあったのですが、現在日本でも多くのコースが受講できますし、短期間であればいつでも行けると考え、除外。現在、海外の大学や臨床施設で技術研鑽をしている日本人は珍しくありません。そして、もはや日本の理学療法は海外輸入型を脱しています。最新の技術を勉強するなら日本にいても可能ですし、先進国ならいつでも行けると思ったのです。
海外での就労は語学(英語)のことだけを考えればプラスかもしれませんが、真新しさはないと思いました。

さらに、一旦キャリア(といっても大したものではありません)を放棄してみようと思ったのです。前述した通り、このまま日本で生活し続けることをイメージすると、素晴らしいことがたくさん待っているのは間違いありません。更に充実した人生になることでしょう。しかし、ここで一回は道を外れてもいいかなと思ったのです。仕事だけでなく生活するのにも大変な場所で苦労するのもいいかと。それによって、日本に対する思いも一層強くなるだろうと。そして実は、仕事でもプライベートでも、35歳くらいまでは「人生の柱を決める」という刑の執行猶予期間だと思っているからです(笑)。

また、海外に積極的に出て行くことは、すべての人にとって簡単なことではないはずです。でも自分にはそれができる(逆に言うとそれしかできない)。理学療法という専門性をもって日本と世界をつなぐことが、自分の役割(社会貢献)かなと思ったのです。

ここでJICAの一事業である青年海外協力隊というものが、自分の想いとマッチしたため、これを選んだということです。また、この事業はボランティア活動であるものの、派遣前の訓練を受け、国の組織に守られ、現地でも生活費のサポートを受けることができます。このような事業は先進国のどの国にもありません。海外の理学療法士も口をそろえて「そんな制度は日本にしかない。僕が日本人だったら絶対に応募しているはずだ。」と言います。そして実際に協力隊の草の根活動が外交においてもプラスに働いているという現実があります。

とは言っても、正直すごく迷いました。協力隊の活動に参加するためには、放棄しなければならないものも多かったからです。安定した生活基盤、友人、家族、収入など…。最終的にはいつもの「やらない後悔」はしないということ、「今しかできない」という考えが勝り、青年海外協力隊に参加することを決めました。

ちょっと長くなりましたが、こうした経緯で今ボリビアにいます。何ができるか行ってみなければ分かりませんが、とにかく体に気をつけて活動し無事に帰ってきたいと思います。