#523【Kiyomi_42】言葉が響くとき㉒尹東柱『空と風と星と詩』より(2023/12/29 | コトバあれこれ

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子ども作文教室、子ども国語教育学会の関係者による
投稿記事ブログです。

             2023年12月に考えたこと

 

 

  序 詞

 

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥じ入ることもないことを、

葉あいにおきる風にさえ

私は思い煩った。

星を歌う心で

すべての絶え入るものをいとおしまねば

そして私に与えられた道を

歩いていかねば。

 

今夜も星が 風にかすれて泣いている。

 

                          (一九四一・一一・二〇)

             『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(金時鐘:訳 岩波文庫)より

       

 

 12月初旬に多摩市民会館で、青年劇場による公演、「星をかすめる風」を観る機会を得た。原作は韓国の作家、イ・ジョンミョン氏の同名の小説、『星をかすめる風』である。韓国の国民的詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)がモデルの作品である。戦時下で、同志社大学に留学していた彼は、1943年、治安維持法違反により逮捕され、懲役二年の判決を受け、福岡刑務所に投獄された。罪状は独立運動への嫌疑や母語の朝鮮語で詩や日記を書いたことである。そして、1945年2月16日、27歳の若さで獄死する。

 

 『星をかすめる風』は、彼の詩と幾つかの証言をもとに、ひとりの検閲官の死を解明する若い看守と服役中の尹東柱が、苛酷な環境で詩や文学、聖書を通した交感のフィクションとして描かれている。同志社大学には彼の詩碑があり、毎年命日には追悼式が行われているという。

 

 

青年劇場のパンフレットと尹東柱の詩集(金時鐘訳 岩波文庫)

(青年劇場で朗読された詩「序詞」は伊吹郷訳であったが、

筆者にとってなじみ深い金時鐘訳を引用した。)

 

 尹東柱の詩作については、高校現代文Bの教科書(筑摩書房)にも紹介されている。詩人・茨木のり子の『ハングルへの旅』から引用された文章がある。文章の冒頭には「序詞」、文中には「たやすく書かれた詩」と「弟の印象画」(いずれも伊吹郷訳)が紹介されている。高校生はこの詩に触れて、どのように感じたのであろうか。ハングルで書かれたこれらの詩は弾圧から逃れるため、贈られた友人がカメに入れ、地下深く保存していた為、戦後日の目を見るに至ったという。植民地時代にクリスチャンであった尹東柱の、清冽な決意や使命感のようなものが伝わり、心が洗われるようである。茨木のり子は、彼の詩を開けば、「水仙のようないい匂いが薫り立つ」と、たたえている。

 

           「一点の恥じ入ることもない」人々

 

 現代に目を移すと、「一点の恥じ入ることもない」多くの人々が戦争の犠牲となっている。2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻では、双方の死傷者が50万人にも及ぶと言われている。また、昨年の10月7日に開始されたイスラエルのパレスチナ・ガザ地区への侵攻では、12月22日時点での双方の当局発表によれば、パレスチナ人の死者数は2万人以上、イスラエル人の死者数も1200人以上にのぼっている。しかも、ガザで命を落とす41%が子どもだという報道もある。小さな無辜の命が今も奪われ続けている。

 

 新型コロナウィルスのパンデミック下では、未知のウィルスへの恐怖心から国を閉ざしつつも、世界が一つの方向に向かっていたように思えた。WHOの発表や各国の報道に目を凝らし耳をそばだて、ワクチン開発に安堵した。ところが、感染症という恐怖の山を一つ越えて下り口が見え始めたとき、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。侵攻した方が100%悪であっても、侵攻させてしまった悔いもあるはずだ。あれからもう2年になろうとしている。

 

            「生きていれば希望はある」

 

 これは、最近の再放送・朝ドラマでのセリフである。尹東柱と同じ時代を生き抜いてきた人物が命尽きる際に、同じく戦後を生きる主人公へ向けた励ましの遺言である。「生きている」からこそ言える言葉である。逆に言えば、「絶え入った」者はこれを言うことができない。等しく希望があるとすれば、それは平和のうちにしか生まれない。戦争はどのような大義であれ始まれば、憎悪や猜疑心がつのり、殺りくや略奪が横行し、人間そのものを変質させていく。犠牲になるのはいつも戦争から最も遠い人々、「一点の恥じ入ることもない」子ども達である。

 

            「戦争さえなければ希望はある」

 

 「いつまでも停戦が続いてほしい」「ぼくたちは多くをもとめていない」と語った、空爆で片足を失った13歳の少年の言葉が響いてくる。国内の出来事に目を遣れば、買収や裏金による不正まみれの政治、政治と宗教の癒着、芸能業界での前代未聞の不祥事や、安全が金言である自動車産業や販売業での不正行為など、組織を構成する「人間の質」が問われる事件が続いている。それらが内部告発により正されるきっかけとなったのが救いではあるが、物価上昇で生活も圧迫されるなか、日本という国はいったいどこへ向かうのであろうか。しかし、それでもこうした事件には解決の道はある。戦争さえなければ希望はある。

 

 

      

      12月の初雪草、その名にふさわしくあろうとしたのだろうか。

 

 

 子ども作文教室は、12月16日(土)に今年の授業を終えた。私達は読み書きを通して子ども達に励まされ、生かされている。2023年は、そのことを改めて感じることができた一年であった。最後に尹東柱の詩集からもう一篇、「人になるよ」を肝に銘じたい。

 

  弟の肖像画

 

ほのあかい額に冷たい月が沁み

弟の顔はかなしい絵だ。

 

歩みをとめて

そっと 小さい手を握りながら

「大きくなったらなんになる?」

「人になるよ」

弟の説はまこと 未熟な答えだ。

何食わぬ顔で手を放し

弟の顔をまた覗いて見る。

 

冷たい月が ほのあかい額に濡れ

弟の顔はかなしい絵だ。

                         (一九三八・九・一五)

          『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(金時鐘:訳 岩波文庫)より

 

 

                                  Kiyomi