#521【Mo-3】『9マイルは遠すぎる』 | コトバあれこれ

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 『九マイルは遠すぎる』画像

 「九マイルもの道を歩くのは容易ではない。ましてや雨の中となるとなおさらだ。」
この言葉を聞いて、あなたは何がわかるだろうか?うちの名探偵はこの言葉だけで事件を解決しちゃうよ?というのがこの本の趣旨です。

 一を聞いて十を知る力を最大限使ったものが、『九マイルは遠すぎる』のストーリーなのですが、その様子を書いてしまうと完全なネタバレになってしまうので、例文から何を考えることができるかを見ていきたいと思います。

 「佐藤のやつ、数学で51点も取りやがったんです。」というセリフがあったとします。ここから何がわかるでしょうか?佐藤が数学で51点獲得したこと以外にわかることはないでしょうか?できれば、少し考えていただきたいです。それでは、一つ一つ見ていきます。

 まず、「51点”も”」と言っているので、おそらく佐藤は発言者が予想してたよりも高い点数を取ったのでしょう。また、わざわざ「数学で」と言っているので、おそらく佐藤のほかの教科の点数は51点ほど高くない(もしくは数学ほどインパクトがない)のではないでしょうか?このようにセリフの細かいところに注目すると、より多くの情報を得ることができます。

 今度は、佐藤らの年齢について考えていきましょう。まず大事なのが、数学のテストを受けている点です。小学生は算数ですし、大学生は線形代数などなので、数学のテストを受けるのは中高生に限られます。ただ、中学生か高校生かを見分けるポイントはまだ見つからないので、いったん保留にしておきます。

 次に、発言者の状況を考察していきましょう。とりあえず、発言者は「取り”やがった”」という口調から男の子だと思われるので、太郎君と呼ぶことにしましょう。わざわざそのような発言をしたのは怒り、もしくは驚きのような感情の表れのように感じます。また、太郎君の発言にはやや不可解な点がいくつかあります。あなたは学生生活でほかの人の点数を誰かに伝えるという場面に出くわしたことがありますか?さらに、砕けた口調から急に語尾に「です。」という帳尻合わせの丁寧語が使われています。ここからおそらく太郎君の話し相手は親しめの目上の人だと推測できます。校内で親しめの目上の人といえば、かかわりのある先輩か先生です。つまり、太郎君は佐藤のテストの点数を先輩もしくは先生に報告しているのです。かなりおかしな状況に思えてきませんか?

 そして、気になるのが51という数字です。近くに切りのいい50という数字があるにもかかわらず、あえて51といったということはおそらく51という数字は正確な数であると推測できます。そして、太郎君は51という数字をはっきり覚えていることになります。つまり、太郎君にとって51という数字が何か特別な意味を持っているのではないかと考えられます。

 さらに、佐藤と太郎君の関係性についても考えていきます。佐藤という名字は日本で最も人口が多いです。つまり非常にかぶりやすい名字ということです。そういう人は下の名前やあだ名で呼ばれることが大半です。では、佐藤と太郎君はあまり接点がないから名字呼びなのでしょうか?その可能性は低いように思います。今まで見たようにテストの点数を正確に覚え、先生もしくは先輩に「佐藤のやつ」という荒い呼び方をしそれでいて伝わっていることを考えるとむしろ近しい関係と考えるのが普通ではないでしょうか?本来はあだ名で呼ぶ関係であるのに、今回は特別な事情があるのではないかと疑うことができます。

 ここまでに出てきた要素に合うようなストーリーを考えると、

①佐藤と太郎君はご強化のテストの最高点数で対決していて、佐藤が数学で51点取ったことにより、太郎君は最後に残っている英語のテストで52点以上を取らなければいけなくなってしまった。それで重い罰ゲームが不安になった太郎は頼れる先輩に相談し「まあ今更どうしようもないんだから」という言葉を待っているという状況

②太郎君と佐藤は同じ講師のもと一緒にテスト勉強をしてきた仲だった。もともと二人とも頭がよくはなかったが、佐藤が数学で51点も取ったことが自分のようにうれしかった太郎君は佐藤が報告するよりも先に講師にネタバレをしてしまったという状況

 このように一つの文章からちょっとした違和感を感じ取り、一般常識などを駆使して、どういう状況で放たれた言葉なのかを考えるというのが、この『九マイルは遠すぎる』という本が教えてくれる面白さだと感じました。皆さんも実際の本に書かれている文章からでも、このブログの例文からでもわかることを書き出して、どのような背景があるのか考えてみてはいかがでしょうか?

 以上のことから私が考えたのが、一を聞いて十を知る能力が論理的思考力で、この力がつけば、どんなものからでも、いくらでも学ぶことができるのではないかということです。そうすることができれば、ほかの人が考えていないところで思考を巡らせることができるので、周りと差をつけることができるのではないかなと思います。(特に根拠はありませんが……)