小林賢太郎氏の単独公演
『DROP』初演終了。


素晴らしい舞台でした。

凝りに凝った装飾。雑多なのに不思議な統一感があり、まるで氏の頭の中を投影したかのような空間を造りあげていた。

滝のような汗を流しながら舞台を所狭しと駆け回る小林氏。舞台装置も調度品も一切移動させることなく、モザイク的に切り替わってゆく世界に観客をすんなり入り込ませる演出には圧倒された。


しかし圧巻なのはやはり中身。言葉で表現してしまうと、感じた全てを型にはめこんでしまい台無しにしてしまうような気がするので多くは語らずしばし余韻を味わいたいと思う。

『DROP』の持つ複数の意味を、分解・再構成してゆく作業はいつもながら素晴らしい。
たったひとつの単語をここまでひたすら見つめ続けたことがあったろうか、彼の作品を観るといつもそう思う。
いつも必ず新しい側面を得られる。だから彼の作品はやめられない、やみつきになるのだ。




今日は素晴らしい出会いくれた、舞台に関わった全ての人達に感謝したい。


あ~、楽しかった!
心待ちにしていた。
今日は初めて小林賢太郎氏の単独公演を観に行く。

そわそわして眠れない。

どんなパフォーマンスをするのだろう、どんな舞台装置をこさえて来るのだろう、どんな衣装、映像…ああきりがない。


舞台は一期一会だと思う。
同じ演目、同じ曲でも違う。何かしら決定的に違う。

こんな話を聞いた事がある。

ある時のウィーン・フィルによるチャイコの『悲壮』。鬼気迫る名演奏で、観客は拍手の大洪水。しかし、アンコールに定番の『美しく青き…』が始まると、数人の観客がそっと席を立ち帰ってしまったというのだ。
ドナウはこのオケの十八番でもちろんミスはない。
そうではなく、ドナウの底抜けの明るさで悲壮の余韻を台無しにしたくなかったのだそうだ。

これはクラシック通の粋な話として有名なのだが、観客にそこまでさせる程の名演奏はそのオケと指揮者が揃えば必ず出来るかというとそうではない。(勿論一流の演奏には違いないが)その時のコンディションや諸々の要因に大きく左右される。

この悲壮に立ち合えた人は本当に偶然のラッキーとしか言いようが無い。だからこそ舞台は奇跡の一期一会なのだ。


さて、今日はどんな舞台に出会えるかな?
向井さんを乗せたスペースシャトルの打ち上げに成功。

先ほどまで、ちょうど日本の400km上空を飛んでいたと聞き、空を見上げてみたが残念ながら見ることは叶わなかった(そもそも肉眼で見れるのか分からないけど…)。
しかし、すぐ近くの宇宙空間で作業しているのだと思うとドキドキする。


宇宙では、地上ではできなかったことが色々可能になるらしい。

例えば蛋白質の結晶化。
もちろん地上でもできるのだが、地球上における諸々の因子を除くことができるために(詳しくは分からないけど)結晶がきれいにできるのだそうだ。
これはタンパクの立体構造解析や新薬の開発に役立つ。


シャトル打ち上げに伴い、費用の事、debrisの事、色々課題もあるが、それでもぜひとも進めてほしいものだ。



しかし『きぼう』って…

いっつも思うけど、こういう業界の人って、ロマンチストが多いよな。


シャトルの中には、乗組員のほかに我々の未来が載っているのだろう。