「自分を知ること」
前回、人称態としての痛みの考え方に対しての考え方を述べた。
まず、私とあなたの外にいる彼、彼女、あの人というのは簡単に認識できる。
これは第三者に対しては自分の認識できる範囲内での理解で済ませることができる。
同時に、結局自分の身に大きくかかわることがないので、ある意味自分勝手な無責任の判断で関係性を作れる。
第三者を越えて、もっと関係性の淡い、ただ通りすがりの道行く第四者、実体もわからないテレビなどに出てくる第五者などといっても良いくらい遠い関係性、これらはさらに無責任に自分との関係性を作れる。
好きだとか嫌いだとかを平気で言える。
快、不快も簡単に言える。
困っているようだったら、同情しているふりもできるし励ますセリフも自由に吐ける。
助けているつもりにもなれる。
多くの治療家を支えているのが、この第三者の存在である。
そこへいくと第二者。
つまり二人称で呼ばれる「あなた」「君」という関係になってくると、だんだん事情が解ってくるために無責任な言動ができなくなる。
自分勝手な認識をすると、直接ツッコミをされるだろうし、「嫌いだ」などといったら「私も嫌いだ」になってしまって、なんでもハッキリしてしまう。
治療をしてあげたとしても「うーん、どうかなあ」「もうちょっとどうのこうの」と批判もくらってしまう。
親、兄弟などは最たるもので、「良く知っている、良く知られている関係」というのは、無責任に思い込みの言動はできない、根拠や実体のない「同情」や「援助」はさらに無意味になってしまう。
残るは「一人称」つまり自分。
「私」「僕」と呼んでいる存在だ。
この「私」「僕」という存在との関係が一番難しい。
これが解っていれば、治療家に向かないのに治療家をしていることもなくなる。
結婚の失敗や、進学の失敗、健康を損ねること、意味もなく太っていくことも減らすことができる。
この自分というものの認識を「自我」という。
(知恵から始まる治療の極意「知識炎上」 Vol.7 岡根知樹著より)
2015年 岡根知樹 9月のセミナー
9/5 キネシオテーピング・イントロダクション講座(体験ワークショップ付)
9/6 ハロー臨床セミナー
9/13 臨床スラッキング療法 腹部②
9/20 キネシオテーピング法 病態別講座 特殊テープ
9/27 筋スラッキング療法 部位別B-3
2015年 岡根知樹 10月のセミナー
10/11 臨床スラッキング療法 上肢帯①
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