「仕事かなぁ、母、の、日、ちちの、日、贈り物しないでよ。」
めっちゃ読みづらいメールが届いた(笑)
双方の母に、カーネーションではない花を贈った。贈れるシアワセよりも、贈られるシアワセを感じたかったなあ~と今年は、特に思った。何でだろう?
「死児の齢を数える。」
過ぎ去ってしまったことを後からあれこれ言ってみても無駄なこと。死んだ子が生きていたら今頃は何歳になっていると嘆いてみても無駄なことであるから→全然無駄じゃない。私の中で生きてるから、私がこの世を去るまで数え続ける。
今年から一年生やから、母の日のギフト貰える気がしてならないのかもしれない。(わたしは、正気です!)
そう思ったら、昨年よりも悲しくなり、5日の「こどものひ」も、憂鬱だった。子どもの日、母の日、いっそのことなくなればいいのに…( ̄▽ ̄)病んでるな私…
そんなとき、葬送プロの女性社長がFBに下記の投稿をしていた。
(一部掲載させてもらいます。)
………………………………………………
「母の日」
お母さんに感謝をする日と
日本では言われているけれど
お母さんのいない人はどうすれ
ばいいの?と子どもの頃に
思った事がある。
「父の日」
お父さんのいない人は?
そして両親がいない人は?
こどもの日、子どもを亡くした
人やいない人は?
どこかで楽しくお祝いをして
いる人もいれば、人知れず
寂しい気持ちになっている人
もいる。
いっその事、
『大切な人に感謝する日』
としてしまえばいいのに‼
なんて思ってしまう。
……………………………………………
心にストンと落ちた。
そう、感謝するならできるよ。
そして母の日、以前から参加しようと思ってた福岡ホスピスの会「がん哲学カフェ」第一回目に行ってきた。
本人が、ガンで現在治療中の人。
親、配偶者をガンで亡くした人。
ガンではなく、難病で奇跡的に生還した人。
子どもを亡くした人(私と、会の主催者の人)
25名+緩和ケアーの病院長☆3つのテーブルに分かれて、お互いの想いを語ります。私の座ったテーブルは、会の主催者の方がいらっしゃったので、司会進行がスムーズだったけど、分かり合えないんじゃないだろうか?年老いた親を亡くしたり、年数重ねた配偶者を亡くした人とは違うんだから…と、最初は思っていた。しかし、色んな経験されていて、寄り添えるチカラをもっている方々で、話の途中に、ナナの写真をみせてほしいと言われ、携帯に入ってる写真をみせたら、治療で髪がなくなって眉毛睫毛もなくなってるのに笑ってるポーズしてる姿が可愛いと言われ、皆さん順番にナナをみて、微笑んでくれた。その光景が凄く自然で、胡散臭くなくて居心地がよく、闘病生活を語りながら泣いた。と言うより吐き出した。大丈夫って自分自身で思ってたけど聴いて欲しかったんだ自分の想いを…語りたかったんだ…まだまだケアーが必要な自分を知りました。
今日は、Mother's Day
ナナからのプレゼントだね♡
あと、もうひとつ♡
メイクアウィッシュという難病の子どもたちの夢を叶えるボランティア団体さんのリニューアルされたHPに、キティーに会いたい‼︎ナナが載ってます♡
30番目☆命日の日☆