外来受診日に救命救急 | 脳腫瘍(小児脳幹部グリオーマ)七奈子の闘病記

脳腫瘍(小児脳幹部グリオーマ)七奈子の闘病記

2013年8月30日☆☆娘の七奈子は、3歳10ヵ月で天国へお引っ越ししました☆☆病名は、脳腫瘍(小児脳幹部グリオーマ)見守ることしかできなかった10ヵ月の闘病生活と共に、今のワタシの気持ちを綴っています。

2013年6月6日(木)


外来受診日急いでいるのに、そんな日に限ってトイレが詰まり、溢れる一歩手前。

最悪な一日のはじまり。


先月のメイクさんのお陰で、色んな場所に遊びに行って楽しい毎日があっという間に過ぎていった。


今月初めには、シルバニアファミリーがいる「かしいかえん」というレトロな遊園地に行って、またナナの笑顔がたくさんみれてシアワセだった。


夏は、実家に帰省してまた大阪のキティーちゃんに挨拶に行かないといけないね~なんて話していた。


残り、2クールのICE療法が残っているので、今月末から入院を予定していると先生より言われ、診察後にS君と外来が重なったので、一緒に「ゆめタウン」でランチした。


ナナと同じ病のS君は、どこから見ても元気そのものだ。発病当時から、何の症状もなく、運よく行きつけの小児科の先生の判断でCT撮影したことにより、腫瘍が発見された。

発病から2年半経過している今も、元気に学校に通っている。この病の希望の星だと私は思う。


S君は双子ちゃんなので、もう一人のNちゃんと三人でランチ後に、室内マットの上で遊んでいた。


このときが初めて一緒に遊んだのに、この日が、サイゴになってしまう(>_<)


今でも、この日のナナの服装・靴・食べたもの・サンリオショップで買ったもの・お昼寝をした時間・夜ごはん・ゆめタウンで、きゃっきゃ言いながら走ってた姿・昨日のことのように私の記憶の中に鮮明に残っている。


この日、S君ママから一緒に闘病していたKちゃんが、6月4日に亡くなったことを聞いて驚いた。

移植するとは聞いていたので、体調も良くて今も元気に入院しているとばかり思っていたのに…

しかも、助かる確率も30%もあったので、私たちよりも恵まれてると思っていた。

後に、Kちゃんママから聞いた話では本当に急なことで、事実を受け止めきれなかったけれど元々、体力がなかったKちゃんだったから、運命だと思って受け入れると話してくれた。

妹ちゃんがいるから、生きていけるとも言ってたので、きょうだいの存在は親としては大きいだろう。


夜、ナナがお風呂から上がる時いつもなら手を繋いでマットまで行くのにこの日の私は、ママのところまでおいで。と数歩の距離なので大丈夫だと思い言ったら、僅かな段差で転び頭をぶつけてしまった。髪の毛も少ししか生えてなかったから縦にさけて血がでているのが一目で分かる。


叫び声で旦那を呼び、出血が止まらないので119した。その間もずっと泣いている。


なんで手を繋がなかったのか責められる私。オレなら、そんなことはしない。


と、救急車がくるまでずっと責められた。泣いてるナナに対して「ごめんね。ごめんね。ママがごめんね。」


タオルが赤く染まるのが恐ろしくて、このときの後遺症で、また別の病気になったらどうしよう。


私の責任だ。お風呂上りで髪もボサボサ。ナナもオムツだけだったので上からパーカーを羽織って救急車に飛び乗った。今の病状を説明すると、隊員の方が九大病院に連絡をとって下さり、受け入れ可能だったので、そのまま九大に向かった。

この傷は大丈夫だと思いますが、本来の病気のことは我々には分かりかねますので、一刻も早く病院に向かいますと言われました。


今日二回目の病院。初めての救命救急。


私の不注意からなったことなのだが、このとき確実に腫瘍が広がっており平衡感覚が正常ではなかったと後で分かった。旦那が私を責めたことも最もなことではあるが、そんなことはどうでもよく、またナナに痛い思いをさせることになった。4針縫ってその日のうちに自宅に戻れることにはなったのだが、この日を境にして、「再燃」「再発」を思わせる症状が出始めるようになった。


2013年6月6日。長い濃い一日だった。


夜に、S君ママに電話して夜の出来事を報告し、今の不安な気持ちも聞いてもらった。

ママから、「大丈夫!一緒にがんばろう!」と言われた言葉は、同じ心境だからこそ言えるし、伝わる言葉。


有り難く、そして救われる。


一番近くにいる人は、いびきをして寝ている。仕事があるからしょうがないと思うけれど何かかが違う。

この日以来、私の不注意を責めはしなかったが、最も頼るべき近い存在の人が、遠い存在になっていくことに拍車をかけたのは間違いない。