若狭から鯖街道 熊川宿    令和5年10月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

少し以前の10月初旬、まだ暑さが残る日でしたが若狭から鯖街道を通り
熊川宿を訪れました。

若狭湾




若狭に大陸の文化が上陸して大和の都へ運ばれる最も近道であり、若狭は韓国語の
ワカソ(行き来)から、奈良、ナラも(みやこ)から当て字されたとも伝わります。

古代若狭は朝廷に食物を献上する御食国(みけつくに)の一つ、日本海で獲れた
魚介類がはるばる京都へ運ばれ、「京は遠ても十八里」と言われました。
十八世紀後半からはたくさんの鯖が若狭の海で陸揚げされるようになり、「鯖街道」
と呼ばれるようになりました。

秀吉に重用され、若狭の領主となった浅野長政は天正17年(1589)に熊川が
交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町とし、40戸ほどの
寒村が200戸を超える町になったものです。





街道沿いの家々は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。












街を流れる用水路「前川」。








街の南端は若狭と近江(福井と滋賀)の境界で番所がありました。








街道のすぐ西には標高185mの稜線上に山城、熊川城址があります。

宿場館へパンフを頂きにお邪魔しますと、すぐ裏が城址ですから是非登って下さいと
言われ、全く知識が無かったのですが、明智光秀ののぼりなども多数立っており、
訪ねない訳にはいかなくなりました。  


 




熊川城主の光兼の子女、麝香(じゃこう・マリア)が細川藤孝(幽斎)に嫁いでおり
その子息の忠興に光秀の子女、玉(ガラシャ)が嫁いでいます。

光秀、忠興にとって唯一の妻であったと伝わる。
                                   











中段郭からの展望。 下の広場は陣屋跡。




主郭跡。




展望デッキが設けられていますが望むのは山々のみ。









 

下って中腹の城郭の跡に造られた白石神社(熊川の氏神)。






小浜からこちらの国境まで四里(16km)、京都上京区の出町まで14里(56km)で
一泊二日のコースです。

滋賀、保坂から道が分かれ琵琶湖岸の今津は近く、鯖街道は大原を通って京へ。
その昔も今津へ出て大津まで船で、大津から京へ歩くコースが楽であった。


街道を先に進むと滋賀県内、車のナビで調べてもすぐ琵琶湖岸で今回は京へ向かわないで
今津から湖北へ巡って帰宅しました。












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