通知票について考えてみた | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

通知票についての記事を読んだ。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=923574974706375&id=484833285247215


どんな通知票だったら、もらった子、みんながやる気が出るんだろう。
誰にたいしての通知票なんだろう。


私は、子どもがその学期を振り返るためと、親に知らせるための2つの意味があると思っている。


私は、通知票は、単元ごとにつけるタイプのものと、技能や思考、知識と分野ごとにつけるタイプの両方をつけたことがある。


日本だと、その学習が到達できているかどうかでつけることが一般的なんだと思う。


でも、到達できていない、と、なったときにどうするのか。
日本は、留年ってないし。


「到達できてないです」って通知されたとき、子どもと保護者はどう思っているのだろう。
そこの分野を勉強してくださるんだろうか。


通知票が親の手に渡って子どもと一緒にしゃべるとき、
親は、
「ダメだったねぇ。」
で終わるのだろうか。
「ちゃんと勉強しなきゃダメでしょ。」
って叱るのだろうか。
「できるように子どもと努力しなきゃな。」
と思うのだろうか。


以前、思考の項目に「到達できていない(努力しよう)」があった保護者さんから、
「思考分野って、どうやったらいいんですか。」
と、質問されたことがあります。
その時の私は、そんなに上手に説明できなかったような…。


今だったら、
「特効薬はないですが、おうちで、いっぱい失敗させてあげてください。失敗を経験させるためにも子どもさんに手伝いなど家の仕事を任せてみてください。」
と、答えるかな。


試行錯誤の経験が思考力に繋がるから。


「知識」は、教え、練習することでつきやすいけれど、「技能」は、実際にやってみる経験がいるし、それも、考えながらやっていないと、テストの時に聞かれても分からないし、「思考」は、知識として得たことを使わないとできない。


最近のテストは、文で答えることも増えている。
テスト問題を作った人の問題の意味が分かって、文を作れないと答えられない。


いい問題だなぁと思う。


でも、そこについていけてない子が、
「がんばろ」
って思える通知票なんだろうか。


「どこまではできていて、こういうところは苦手でこういうところをがんばったら力が積み重なっていくよ。」
というカルテみたいな通知票が渡せないものだろうか。


そんなことを思った。


勉強って、積み重ねが必要だし、面倒くさいことも多いけど、楽しいものだと思う。
それが、伝わるような通知票ってどんなものなんだろう。


改めて思ったな。


No.1379



子ども達二人の作品。
今年は生クリームを泡立てるところと半分に切るところ以外は、子どもに任せっきり。
思考を育てるには、「どんなんでもまあ食べられるし、そういう遊びが大事なんだ」、と、大人が諦めの境地をもって、見守ることが重要なんだと思う。
子どもの伸びの邪魔をしない。
「邪魔をしない。」
でも、適切な刺激は与えていく。
親も試行錯誤が大切。


私も常に子ども達の「今」を観察しながら試行錯誤。
その連続で9年きた。
面白い。