地域格差が起きることなどが理由で中止になった。
でも、英語の入試ってこれでいいのかなぁ、とは、思う。
今、私は、英語を習っている。
「英語を話すことができるようになりたい。」
という長年の夢を叶えるために。
習い始めて思うのは、こんなふうに先生が教えてくださっていたら、私、英語を話せるようになってたんじゃない?
ってこと。
中学校から6年も英語を習っていて話せないって、習い方に問題があるんじゃないかって、すごく思った。
そして、私が高校を卒業して20年以上経ってるのに、まだ、英語が話せない国民が大量生産されている英語教育って、…と、思う。
そして、それが、高校教育における受験のための英語教育も問題のひとつになっているのだとしたら…。
引用した文の中に、
「今は、外国の大学を受けるための英語と日本の大学を受けるための英語の両方を勉強しなければならないが、それがなくなる方がいいと思った。」
というようなことが書かれてあった。
日本の大学を受けるための英語って…。
英語って、使えたらいいんじゃないん。
難しい文献を読もうと思ったら、ある程度の文法は必要だけど、辞書があったら読めるやん。
それこそ、難しい英語の文献を読む必要がある大学だったら、そこからやればいいやん。
勉強って、頭の使い方を鍛えるものだと思うから、難しい勉強もしたらいいと思う。
でも、英語って、実技教科のように思うんだよな。
正確に書けなくても話せたら意思疏通はできる。
日本語を話せない人とも意思疎通ができると便利。
そんなふうに思うんだよな。
母語を使って考えることはだいじだと思うから、日本語もだいじだと思うし、日本の大学が母語で学べるのはすごく素敵なことと思うんだけど、英語が話せないってのもまた、もったいないなぁって思う。
英語入試改革への思いを読んで、こっちの意見もマスコミで流れたらいいのに、と、すごく思った。
そして、問題が少しずつ解決されて、6年(今なら小学校からだからもっと長い)真面目に学んだら、英語が話せるようになるってのがいいなぁと思う。
入試のために、英語が話せることが必要っていうのは、教育を変える上ですごい力を持っているっていうのは、すごく納得できた。
今までそういう教育をしてこなかった立場の人から反対が起きるのも分かるし、反対のタネなんて、どこからでも見つかるし…
変えるって難しい。
ひとつひとつ、よい方向へ進んでいったらいいなぁと思う。
No.1374