移住者への聞き取り調査をうけて自分の価値観がどう培われてきたのか考えられた。 | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

移住者仲間から、
「移住について研究している広島の大学生に協力してあげてほしい。」
という要請があり、大学生の聞き取り調査に参加してきました。


今の暮らしぶりや、ここに至る経緯、はては、私の引っ越し経験と、いろいろ聞かれたことを話しました。
(プライバシーは、外に出さない、話したくないことは話さないでいいというスタンスをちゃんととっておられました。)


話しながら、ここに来たのは、ほんとに偶然の産物だけれど、この決定をくだすにあたっての自分の価値観は、私の生きてきた中で培われた価値観なんだなぁと改めて思いました。


その中でも、子どもの時に育った瀬戸内(兵庫県の明石)が大好きだったこと、初めの赴任地の鎌掛小(滋賀県日野町)が大好きだったことが大きいことが分かりました。


でも、明石がすごく好きなことは、滋賀県の甲賀市に引っ越したからわかったことだし、鎌掛の良さもその後長い間大きい学校で働かせてもらったからわかったことだと思います。


都会の大きな学校で働かせてもらったからこそ、わが子はそっちより小さい学校の方があっているのではないか、と、思えたし、小さい学校ならではの良さがあることを知っていたから躊躇しなかったというのがあると思います。


甲賀市に引っ越したのは、国鉄の民営化という自分等ではどうしようもないことと、たまたま土地をそこに買っていた縁で家を建てることになったからでした。
私は、一人部屋と自転車通学という言葉に騙されたと思っていたし、ずっとそこから出たかったし、今もあまり好きではないです。


でも、そこに住んでいたから鎌掛に出会えたし、滋賀県に縁ができたから、大好きなびわ湖の近くに住むことができたと思えたら、悪いことばかりではないですよね。


いろいろ夫婦で今後起こりうる問題について話し合っていたし、夫に田舎暮らしの願望があったからこそ、ここにたどり着いたわけだけれど、自分の「好き」がはっきりしていたことも大きいと思いました。


だからこそ、あのタイミングで、がーっと動いて、「今ここ」があります。


振り返っても、去年動いていてよかったって思います。
幼稚園児の息子たちと、たくさんたくさん遊べたから。


自分の価値観がはっきりしていること、夫婦でそれを話し合っていること、みんなのだいじをだいじにすること、などなどで、「今ここ」があり、みんながそれなりにハッピーに暮らせているんだな、と、思う今日この頃。


ひとつ聞かれたら、伝えるために話が膨らんじゃうので、次に待っていた移住者仲間に迷惑をかけてしまいましたが、よい機会となりました。


私たちに還元されるよい論文となることを願っています(*^^*)


No. 768



毎朝、2階の部屋からこの眺めが見られるだけで、ハッピーです(*^^*)