大崎上島に来て、宿題の量にびっくりしている私。
もし、これがなくなったら楽だろうな、と、すごく思います。
ただ、宿題が多いのもあるのか、全国の学力調査の成績は、いいんですよね。
ちなみに、読書感想文は、絶対ではなく選択制だったので、うちの息子は取り組んでいません。
夏休みの課題は、ドリルは彼は好きなので、多かったけれど、あっという間に仕上げていました。(毎日少しずつというのは、無視しています。)
本を10冊以上読む、というのは、10冊読んだ時点で書くのを辞めて、放置しており、先生にがんばったことを見てもらおうという気はまるでないんだな、ということがよくわかりました。
また、「カイケツゾロリ」は、彼の中では、課題の本に入らないらしく、書いていないのも笑えました。
絵日記も、早いことから書いていたのですが、個人的に彼を見ていて、絵日記は、いい宿題だと思いました。
気持ちを表す言葉や、細かいことを書く練習になっていました。
10枚は、多いと思いましたが、先生がそれまでにきっちり指導してくださっていたので、そんなに手がかかりませんでした。
一言日記が毎日あり、そこに何を書くかが一番苦戦していました。
ですが、二人で昨日1日であったことを話し合ういい機会となりました。
気持ちを表す言葉をそちらもいれないといけなかったので、二人でいろいろ話せました。
私が夏休みは、子どもと一緒に夏休みのため、べったり彼に付き合うことができたので、夏休みの課題は、よい意味で使えたというのが実感です。
選択制の宿題は、その中でましそうなのを選んでいた感じです。
やりたいのはなさそうでした。
(読書感想文も科学研究も選択のひとつでした。)
ま、長男は真面目なので、やらなあかん、と、思っている人への支援ってとこでしょうか。
私としては、宿題そのものが悪いとは思えません。
ただ、漢字ドリルの宿題は、「ええー、嫌やぁ。」と、怒っているのに、漢字検定の勉強なら楽しんでするみたいなところが子どもたちにありました。
(草津市は、市が補助して、学校で年に1回漢字検定を受けるようになっていました。)
自主的に勉強できるような働きかけをしないといけないんだろうな、と、思います。
あと、親の働きかけの言葉が
「宿題しなさい。」
というのよりは、
「今日の宿題、何なん?」
「そりゃ面倒やね。時間はかってみ。」
「3つ書いたら、少し休んで、また、3つ書いたら?」
「書き順きちんと覚えているか考えながら書いたら?」
みたいな感じで、やらなきゃいけないからやりなさいっていうよりは、どうせするなら意味あるものにしようっていう言葉をかけるといいなぁと思います。
だって、実生活も、面倒なことだらけで、やらなければならないことで満ちていますよね。
ご飯作らないと食べられないし、洗濯しないと不衛生になっていくし。
それをいかに楽しむかという視点を持たせられたらいいんじゃないでしょうか。
子どもが自分で、
「これは意味がないからやらない。」
って選択をするのなら、それに関わるリスクを話した上で、そうすると決めるなら、私は、
「そっかぁ。じゃあ、自分で先生に伝えてね。」
と、言うと思います。
無理にさせようとは、思いません。
あくまで、本人がやると決めたことを支援するというスタンスです。
No. 738